活字中毒のワタシの日記

2007年01月04日(木) 大平 一枝 森 優子 由井 卯月『家事場のバカぢから』★★★★☆

家事場のバカぢから
家事場のバカぢから
大平 一枝 森 優子 由井 卯月
メディアファクトリー

兼業主婦3人による、家事のやっつけ方、コツ、手の抜き方、考え方指南本。

女手一つで働きながら子どもを育てていた通称「馬子」(馬車馬のように働くことから)の、あまりにも効率よく完璧に家事をこなす母親界の白い虎。

例:帰宅後10分でメインディッシュ完成。夕食後娘のピアノレッスンに二時間つきあう。朝8時までに家事終了。おうちピカピカ。

彼女の出現により、彼女を含めた3人は、家事というものを徹底的に考えた。
失敗や試行錯誤を振り返り、技をあみ出し、開き直り、達観し。
そして、生まれたのがこの本。

で、読んでみまして。

ものすごい面白い!
そしてあるあるとうなづくこと多数。
そして、使える、使いたい技も多数。

私もできるかも?「馬子」さんのようになれるかも、と思えました。

心に残ったところ。

「一日の家事終了時間を決めると家事ストレスは減る。(略)朝だろうが、夜だろうが、家事の後にお茶を飲めるくらいのご褒美時間を残しておくことが肝心である。」(p26)

「ぐったりと疲れがたまりがちな夜はあえて軽い家事を、まだ元気がある朝は重めの家事をするのがミソだ。疲れている夜にわざわざめんどうなことはしない方がいい。体の声には正直になろうじゃないの。」(p26-27)

「ほこりで人は死なないとは言えども、(略)掃除は誰がなんと言おうともしなければならない家事のひとつなのだ。だったらこう考えてはどうか。掃除はデイリーな地鎮祭である、と。」(p33)

トイレに入ったらトイレの神様へご挨拶。
忙しければ、土地と直接つながっているトイレと排水溝だけでもいい、と。
神様に敬意をしめしたんだから、と全部掃除できないから自分はダメだと落ち込まなくてもいい。
この考え方に共感(というか救われる思い)です。

3人の主婦にはそれぞれの考え方があり、「モノは極力置かない。掃除はこまめに」という人もいれば、「モノで埋め尽くし、掃除はガサーッと」という人もいる。
「気がついた時にこまめに」ができればいいけど、私もそれがなかなかできない一人。
そんな私にこんな提案も。

「だったらいっそ”ちょこちょこと汚れを落として清潔感を楽しむ快楽”は捨てて、”たまった汚れを落とす快楽”の方を追求したらどうだろう。」(p41)

私は今思い切り後者を味わってる最中で、見事なBEFORE&AFTER画像を撮れたりするとすごーく嬉しくて達成感もあるのですが、でもやっぱり、前者がいいな…。

私が一番共感しちゃったのは、以下。

収納道具はなかなか置いて嬉しいものが見つからない。ホームセンターのはいまひとつ、雑貨ショップのはよくてもバカ高い。
あれこれさまよったあげく、辿り着くのが、世界に誇るブランド、そうです、あれです、あれ。

無印良品。

「ぎりぎり貧乏くさくない感じ、苦労せず統一感が得られるちょっと無機質でおしゃれな感じは唯一無二だ。あ、ちょっと考えてるな。安易にそこらへんのホームセンターの安いものだけで間に合わせていないこじゃれた人だな、という印象を与える意味では間違いのない一番打者だ。」(p72)

うちにも、じわじわと増えつつある無印良品。
そう、かなりの満足度ではあるのだけど、でもちょっと、と思ってしまうのはなんなんでしょうね。

あともう一歩な感じ。
無印良品を選んだ時点で「ちょこっとこじゃれた人」どまりな雰囲気が漂うというのか。
無印以上はこだわってない人、とそこまでどまりな感じがしてしまうというか。

著者も気に入っているといいつつ、微妙なモデルチェンジが困りもの、と注文をつけています。
やっぱりあの、「無印にやられちゃったな感」(p73)がなんとも、アレなんですよね。

なんだかんだ言っても、私も無印は好きだし、これからもちょこちょこ増えていくと思います。

子育てに関するコツでこれは使える!と思ったのが次。

「もらったその日に、内容をカレンダーと仕事の手帳に書き写し、プリントは捨てる。行事予定はもちろん、当日必要な持ち物も書き込む。(略)
『プリントは捨て去るぞ』という覚悟で読むから、抜けがないよう気合いも入る。(略)
自信を持って捨てる勇気が、忘れ物番長を生まない環境をつくる。」(p79)

冷蔵庫前面なんでも貼りまくり、から今少し改善して横に貼り、直近で必要なモノだけ前面に貼付けることにしました。
貼ってないことも多いし、貼ってある場合は明日明後日のうちにやらなきゃいけないこと!という意識を持てて忘れにくくなりました。

これをさらにすすめるとこの馬子さんのコツまで行きつけるんでしょうね。
私ももっと情報管理をスリム化していきたいです。

料理についてのコツ、吹き出しちゃいました。
「お母さん偏差値」という考え方。
かたや餃子の皮から作る(=偏差値高し)、かたやできあい餃子お買い上げ(偏差値低し)、負けた感が漂う、というあたりにどきーっとしてしまいました。
お母さん偏差値をあげるための食材(干し椎茸や昆布や大豆etc.)を取り入れ、これまた馬子さんのコツを使えばダメ主婦な私も偏差値アップが図れそう!な気になれました。

さらに偏差値をアップする裏技として紹介されている「ちょい栗原」料理。
ハーブ、オリーブオイル、クレージーソルト、バルサミコ酢という横文字関係の調味料をちょっとまぜるだけ。
この辺は私もちょこっとできてるかも?と嬉しく思いましたが「あざとい奴」と書かれちゃってました。

他に取り入れていきたいと思ったのは、「帰宅直後に即入浴のすすめ」(p121)。

この本が伝えたかった一番のメッセージはp122-123の「日々の食事作りはパチンコにたとえられるかもしれない」かな、と思いました。
なかなか入らない「理想的な手作り料理」、たまに入る「たまには外食」「たまには弁当」、一番じゃらじゃら落ちていく穴は「罪悪感を伴う外食、弁当、出前」。
理想に入らぬよう妨げているバーが、「米といでない」「解凍面倒」だとしたら、サトウのご飯でも解凍せずにぶちこむでもいいから、

自分にどって玉の出しやすい台に調整して、毎日どんじゃらいい音鳴らそうじゃないか!」(p123)

これって、自分のものさしを持ち、自分できちんと満足を得、自分で自分を幸せにする大切なコツじゃないかなと。

上を見てもきりがない、下を見てもきりがない。
他人と比べたって落ち込むだけ。他人のいいところで真似したくて真似できそうなことだけ、まずはそこから始めていけばいいのだと思います。

それを続けていけば、いつか私もカリスマ主婦に?

そんな幻想を抱きながら、キリキリイライラしながらではなく、楽しく家事と取っ組み合い寄り切りたいなという気持ちになった一冊でした。

家事場のバカぢから



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2007年01月02日(火) 松瀬 学『日本を想い、イラクを翔けた―ラガー外交官・奥克彦の生涯』★★★★☆

日本を想い、イラクを翔けた―ラガー外交官・奥克彦の生涯
日本を想い、イラクを翔けた―ラガー外交官・奥克彦の生涯
松瀬 学
新潮社

混迷を極めるイラクにて、車での移動中に銃撃を受け亡くなった外交官、奥克彦さんの評伝。

あとがきで著者は、美談にするためだけの記事にしたくなかった、しか集まったのは褒め讃える話ばかり、悪い話は出て来なかった、と書いています。

確かに美談ばかり。

これでは、ほんとうにただの故人をヨイショするだけの本になってしまうと危惧するのもわかるほど、そういったエピソードが続いています。

かなりひねくれものの私ですが、一読して、やはり奥さんの外交官としての手腕、情熱、正義感、人間としての温かさ、大きさは本物だったのだろうと思います。

ラグビーへの情熱。
外交官という目標。
そのための、それぞれの努力も尋常ではない精神力に支えられているよう。

世界のあちこちで広げたネットワークを作り上げた人間としての魅力。

外交官としてNGOをサポートし、現地の人の笑顔のために、身を粉にして働く。
テロリストの目標リストに載せられ、イラクに戻るなと言われても現場に戻ってきた彼。
「捨て石」であることをいとわず、誇りに思いつつも、国に雇われ給料をもらっているのだから当たり前だと言える謙虚さ。

この謙虚さを物語るエピソードが、川口外相の「川口賞」辞退。
死後、再び与えられたこの賞を授与され、外相が弔辞でこう言ったそうです。

「あらためて川口賞を贈ります。今回はどうか受け取ってください」(p205)

アメリカのようにチームではなく、個人を『撃墜王』にして対応する日本。
このシステムを変えていいかなければならないことにも、読むと気づきます。

彼の死を無駄にしてはならない。

心からそう思います。
日本のために、困っている人たちのために、子どもたちの笑顔のために、リスクを認識した上で踏みとどまった奥さん。

そのために平和な日本で暮らす自分は何ができるのか。

考えていかなくてはと思いました。

惜しい人をなくした、とはこういうケースを言うのだな、とも。


ご冥福をお祈りいたします。

日本を想い、イラクを翔けた―ラガー外交官・奥克彦の生涯



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2006年12月27日(水) 板垣 康子『「捨てる!」決心―「捨てる!技術」だけでは捨てられない』★★★☆☆

「捨てる!」決心―「捨てる!技術」だけでは捨てられない
「捨てる!」決心―「捨てる!技術」だけでは捨てられない
板垣 康子
主婦の友社

捨てたいのに、捨てられないのは、「心の整理」がついていないから。

捨てられるようになるための、そのふんぎりのつけ方を伝授する、という本です。

手順は、まずモノの要不要を見極める。つぎにふんぎりをつけるためのノウハウを身につけ、ふんぎりがついたら納得のいく方法でいさぎよく捨てる、と。

心に残ったところ。

『一人の人が一生の間にふれ合うモノの数なんて、たかが知れている。だからこそできるだけたくさんのモノとつきあいたいではないか。』(p11)

できるだけ、たくさんの、というよりできるだけ自分が好きと思える、あると嬉しい、心地いい、便利で必要なモノと。
たくさんじゃなくていいから、そういうモノと、心地よく暮らしたい。
この頃そう思います。

「モノはなんでもそうだが、ある目的を達成するための手段である、(略)いまは違う。モノを持つことそのものが目的になっている。」(p32-33)

自分の基準というのをきちんと持つこと。
自分にとってそれが本当に必要かどうか、考えること。

「片づけは一言でいうなら、次に使うときにすぐ取り出せるように納めることである。しかし、この簡単な原則がわからない。だから手当りしだいにモノを置く。(略)
こんな具合だから、モノが多くなれば、重なり、くずれ、見えなくなり、存在が不明になる。」

要不要以前に、モノときちんと向き合っているかどうか。
どこに何があるか把握できているか。
捨てる前に、まずはそこから始めないといけないのだな、と思います。

「片づけや掃除にかける時間は少ないほど、仕事や楽しみの時間がとれるのである。それなら、片づけることが最小限ですむような暮らし方を考えるべきではないのか。数を減らすことの意味はここにある。」(p85)

「モノを大切にするということは、『大切に使う』ことで全うされるべきである。逆説的な言い方をすれば、使わないことは大切には思っていないことである。」(p86)

「捨てることはたいへんな行為である。痛みも感じず簡単になんでも捨てられることがいいのではない。痛みをたくさん感じた人が、これからはきっといいモノ選びができるのである。」(p87)

「『捨てる』という行為は、その物理的行動が大事なのではない。悩みながら、せつない思いを抱きながら捨てていくことで、『自分にとって必要なモノ』の姿がはっきりしてくるから、価値があるのだ。」(p188)

このフレーズ、絶対どっかで見た!どこかで書き写した!と思ったら、ありました。
同じ著者の『モノを大事にする人は捨て方がうまい』に。そちらはですます調になってましたが。

同じ箇所でひっかかったということは、やはり私はまだこれが自分のものになってない、ということなのでしょう。
まだまだ痛みが足りない、必要なモノの姿がはっきり見えてない、ということ。
その通りだと思います。
まだまだ。まだまだ。
でもこれから、どんどんいい方向へいく予定。
きっと、大丈夫。

「捨てる!」決心―「捨てる!技術」だけでは捨てられない



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