2009年11月08日(日) |
リディア・フレム /友重山桃 『親の家を片づけながら』 |
 リディア・フレム /友重山桃 『親の家を片づけながら』
心に残ったところ。
遺品整理。 「子供なら誰もがいつかははたさなくてはならない義務」(p22)
「両親が気に入っていたランプやテーブルを処分しても、どうして許されるのだろう。プレゼント用い奇麗に包装されていた黒絹の上着は、私のために用意されていたのだろうか。私はこれを相続してもいいのか、実は贈り相手だったのか、それともただ横領しようとしているのか。」(p36)
「親の物は、もう私の物なのか、それともまだ彼らの物なのか。」(p36)
彼女が唯一相続したかったのは、親の信頼。 亡くなるずっと前からそれが欲しかった。 彼女の苦しさはそれが得られなかったからなのだろうか。
「動きもしないただの物がどうだというのだ。思い出を分かち合う相手を失った品々に、何の重要性があるだろう。」(p37)
生前親が譲ろうと思わなかった品々を、相続で自動的に引き取ることになる。 単純に喜べない。
「親の笑顔抜きで引き取る物に、どれだけの価値があるだろう。」(p37)
ささいな物でも、贈り物であったら喜べただろうに。
だから、彼女がこう思うのも理解できる。
「私は、親から子への贈与は賛成する。しかし、遺産には反対だ。」(p37)
遺書は必ず用意し、モノの行き先を明確にしておくべきだと。
「次の世代に物を受け継がせるという行為は、単なる慣習や成り行き任せであってはならない。それは、贈り手が入念に検討し、譲りたいという明快な選択をし、準備したものでないとならない。」(p38)
「私は、『相続』はした。しかし本当は、両親が私に『くれよう』とした物がほしかったのだ。」(p38)
片付けの途中で様々な感情が動く。
「もう売るという考えは捨て、誰かにあげることにしよう。人に贈り物をするという喜びを素直に味わえばいい。」(p111)
「何か物を取り置く時、人はそこに特別な思いを込める。その人にしか分からない胸がしめつけられるような痛みや、迷宮のように複雑な絆を伴いながら。」(p114)
リディア・フレム /友重山桃 『親の家を片づけながら』
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