現実逃避をするようになったのは、中学生のころからのような気がする。 中学生の時には受験戦争の重圧から逃れるため、深夜にラジオを聞き、エロ本を読み(?)、マンガを読みふけり・・・勉強の息抜きと称して様々なことをやっていた。 俺の性癖はこのころ形成されたといっても過言ではないだろう。
高校生になってからは、専ら読書。授業中の眠気から逃れるため、オカルト辞典を読みふけったり、サブカルチャー本をむさぼったり・・・進学に対するプレッシャーから逃れていた。 俺の雑学知識はこのころに培われたに違いない。
大学生になったときには、就職活動のプレッシャーから逃れるため、空き時間を見つけてはゲーセンでゲームにふけった。 未だにサッカーゲームが得意なのは、このころの修練の賜物だ。
社会人になってからは、仕事中の現実逃避のためWebサーフィン(←今更使うか、この言葉?)。 今の仕事についてからは、このとき入手した知識がホントに役に立っている。
よくよく考えると、今までの人生、現実逃避ほど役に立つものはない。 自己形成のほとんどの部分は現実逃避の時間で形作られているのがよくわかる。
果たして、これでいいものか?
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