独白2
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エネルギーというものは厄介ではあるが、無ければ全く動けないものでもあるわけで 私のなかにも常にあって、常に何かに変換されて、ぐるぐる廻っているわけです 世界はエネルギーが廻っていて、私の中でも廻っていて、世界は巨大な歯車のよう と、いう事を考える
エネルギーは金と同じだね 止まったエネルギーなんかきっと価値がない 私の中に溜まったエネルギーも価値が無い 私の中に溜まった思いというエネルギーは常に何かに変換され、外に出ている けれども内に溜まったエネルギーには価値がない
私から人へ、人から人へ 人の関連性がそのままエネルギーの流れで、エネルギーに溢れている人はより価値のあるものである 誰もがエネルギーを求めて価値のある人間に集まる その人間はエネルギーを自分の中から変換し、発散し、それを皆に渡して、みんなはそこからまたエネルギーを作って、別な人に渡していく
さて、そうなると人の中身の何が一体そういうエネルギーを作り出しているんでしょうか? 人のエネルギーは想いから、というのであれば、その想いの発生源はなんなのでしょう? 想いがあるから、エネルギーが出来るのか エネルギーがあるから、想いが出来るのか 卵が先か、それとも鶏か そういう話になってくるわけですね
私的見解ではありますが、私はエネルギーがあって、想いがあると思っている 人の感情というのは確かに膨大なエネルギーを生みますが、それ以前に世界はエネルギーで溢れている 想いが先にあるという考えは、人間中心でおかしい なんて思うのです
どうでもいい話だな
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