思うところあって...銀の

 

 

ポエミー - 2006年12月22日(金)

他人のWeb日記や自分の日記に、時として
とてもポエミーなものが書いてある、
もしくは、書いてしまうことがある。
それって、読むと、読み返すと、
ものすごく恥ずかしかったりするけど、
それでも書いてしまう気持ち、とても分かる。
自分の中のぐわ〜っていう感情を抑えられなく
なった時に書かずにはおれないのだ。

最近は、読み返した時の自分を想像して
なるべく客観的に書いてる風を装ってるけれど。

あと、少しだけ客観的に書けるようになったのは、
数年前より、少しだけ視野が広がって、
少しだけラクな考え方ができるようになって、
少しだけ生きやすくなったから。

私にとってラクな考え方とは、
「今この状態を変えてもいい」ということ。

私は中途半端に真面目なので、楽しくなくても
飽きていても、ここに居なければ、って考えていた。

それと、厄介なことに、幼少の頃に
自分にとって『完全な時間』を経験していたので、
その完全な状態を復元しなければいけないという
脅迫観念があった。
『完全な時間』とは、本当に好きなことに
没頭する時間のこと。
我を忘れて、自分(もしくは自分達)が作る世界に
集中する時間のこと。

そういったものに捕らわれてたから、けっこう
最近まで社会的な時間が息苦しかった。
人に合わせて話をすることは、嘘をついている
みたいで嫌いだったのに、かと言って興味は合わない。
それに、私がなんとかして会話を楽しいものに
していかなくてはいけないという必要のないおごりがあり、
しかも、楽しくできなければここに居ることを許されない
くらいの卑屈さもあった。
意味分からん。

こんなんじゃ相手に嫌われると勝手に思い込んで、
どんどん人と喋れなくなっていた。
自分が好きな友人でも同じで、話すのが怖くて、
話さないと不機嫌に見られると思って、
変に引きつったままへらへらしてるだけだったりして、
こんなんじゃ余計嫌われると思って、
その場から消えたかった。
会いたいのに会わずにおきたかった。
会いたいのに会った後は泣きたい気持ちだった。


でも、何がきっかけだったんだろう?
ずっとずっと何年もそういうことを考えてきて、
今変わったと思える自分がいる。
自分を捕らえていた甘えたな自分から開放される
時間が多くなった。

今は、動くよ。
ものすごく動く。感情も行動も。
一番ひどい頃は感情が死んでいた。
音楽も、何を聴いても響かない時期もあった。
自分では何も行動を起こせなかったし。

でも、気付いた。
「今この状態を変えてもいい」
と。

だいいち、完全な状態なんてなくていいんだ。
完全な瞬間があればいいんだ。
連続する時間の中で、一瞬だけでも
自分が完全だと思える瞬間があれば本望だ。
その瞬間を貪欲に求めて求めて、
今したいと思うことを今する。

今、この瞬間に、この状態に飽きたなら
嫌な気持ちでいるなら、
この状態を変えればいい。

そういう風に考えるようになってからは、
人と話すのも楽しくなってきた。
いろんな人と出会いたくなってきた。
自分から近付いていくことも、ちょこっとずつ
だけどできるようになってきた。

すごくいろいろうじうじしていた時があったから、
いろんな人のいろんな言葉が切実に響いて、
私の中に溜まっていると思う。

今も、なんやかんやで落ち込む。
でも、それも、心がアップダウンしてるんだ、
ってどっかしらで面白がれるようになった。
ひとしきり泣いて、本読んだりして、
暗い顔で外歩いて、好きなもの買ったり
食べたり、聴いたりして、
ちょっと気持ちよくなってきたら
誰かと話してみる。
すると、凄く楽しかったりする。

で、気が付けば完全な瞬間だったと
感じていたりする。


で、何がポエミーだっけ?
あ、そうそう実家にまだ置いてある勉強机の
鍵がかかる引き出しに、学生時代に書いていた詩や、
日記や、もらった手紙を入れたままにしていたの
だけど、この間帰ったら鍵が壊されていた。
きっと勉強机を捨てていいかどうか困って中を
見たのね。
きっと読んだよね?
詩なんてイラスト付きだよ?
桜とか散らしてたよ?
恥ずかしくて、消え去りたい。
今住んでいる自宅に持ち帰ったけど、
どのタイミングで処分すればいいのやら。

ポエミーなことに救われたりもするけど、
窮地に立たされたりもするのだ。

長すぎたので、まとまらない。
しかも、全然客観的な文章じゃないやん。
終わり。


...




My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will

 Home