私は家族という言葉の持つイメージが嫌い。
姉が躁病(というか、分裂症だったのかもしれない)の時、母に何度も何度も言われた。
「家族やねんから。」
家族を労るのは、さも当然の事のように。 家族という理由だけで、私の姉への拒絶の心は全否定された。
だけど私は。
家族という関係だからこそ姉をここまで憎んだんだと思う。
例えば私と姉が、妹と姉という関係じゃなく、ただのクラスメイトとして出会っていたとしたら、私は姉と友達にだってなれたと思う。
姉は基本的に好感を持てる人物だと思うよ。
家族に対しては大分接し方が変わるけど。 それでも普段の姉は、嫌悪を抱くほどではない。
家族という繋がりは。 逃げ場がない。 家族はどこまでいっても家族。 血の繋がりは絶対。
友達だったら、この人は合わないと思えばもう付き合わないようにすればいいし、 恋人だったら、別れればそれでお終い。
でも家族は違う。
私には姉がいません。 それは嘘。 姉は、姉。 家族の縁を切ったと言ってみても、血は変わらないんだから。
私には生まれた時から死ぬまで姉がいます。
家族は家族である時点から、どうしようもない束縛にもなる。
母が私に、 「家族やねんから仲良くせなあかん。」 と言う度に、泣きたいような苦しいようなどうしようもない気持ちになった。
私だって知ってる。 家族皆が仲良しの家庭。それがどんなに幸せか。 姉がそれを望んで、だから私に話し掛けていたのだって分かってる。 私だって、私だって、家族が仲良かったら良いなって思うよ。
だけど、無理なんだから。 私には無理なんだから。
どうしたら良いのさ。 私は姉が怖いの。怖くて堪らないの。 それを克服できたと思ったの。 2年間。 口で言うと簡単だけど、2年って長かった。 2年を掛けて、私は姉への感情を修正できた。
なのに姉はまた繰り返した。 一瞬で、私の2年の努力は泡になった。
繰り返したくないのは姉も同じだってのも知ってる。私よりもずっと繰り返したくないって思っていただろうことなんて少し考えればすぐに分かる。そんなの分かってる。
でも分かってても、気持ちではどうしようもないの。
相手の気持ちになって考えろ。
じゃあ、私の気持ちはどうしたらいい? 相手の痛みが分かったら、相手を思い遣る行動ができる? じゃあ、私の痛みはどうなるの?
誰も悪くない、なんて本当は分かってる。 でも、誰かを悪者にしなきゃ私は私を保つことができなかった。
もしも。 もしも私が美しい心を持った聖人だったとしたら、きっと変わっていたんだろうけれど。
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