あたろーの日記
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2006年06月18日(日) 古代の叡智

 旧暦5月23日。
 ちょっと間があいちゃった。
 先週は、会社を終えて友人と呑んだりおしゃべりしたりが続いたのと、帰宅後あんまりネットをする気が起きなかったのとで、ほとんどパソコンの電源入れてませんでした。なんでだろう、時々、パソコンに触るのが怖くなることってないですか?
 怖いと言えば今22時ちょっと前なんですけど、サッカーの日本対クロアチア戦見るのも怖い。ドキドキしっぱなしが2時間続くなんてダメだー。というわけで、たぶん、時々ネットの速報を恐る恐る確認することになると思います私。
 
 先週木曜は、もう4〜5年位顔見知りで、会社で会うと挨拶やちょっとした立ち話はするものの、いつも「いつか食事でも」と言いながら実現していなかった女性と呑んだ。会社では部署も職種も違うから接点は全くなし。なんだけど、すごく気になる人だった。
 実際じっくり話してみて、恐ろしいほど話の合う人だということが分かって、びっくりした。こんなことならもっと早くから呑みに行きたかったと思うのだけど、これもタイミングだろうと思う。彼女が今答えを求めていることの答えを、私との会話の中で新鮮さを持って発見できたのだから、今がそういう時機だったんだろう。ここ数年、こういうことまで話せる相手が欲しいな、と思っていることについて、同じように興味を持っていて話し合える友人が、ぽつぽつ、とできている。不思議で面白い。元来、人の輪っていうのは、そういう風にして繋がっていくものなんだろう、と思う。

 昨日土曜は昼間小唄のお稽古、体調を慮っていたお師匠さんが、久しぶりに遠方はるばる来てくれて、弟子一同、張り切る。お師匠さんが作詞作曲した唄を何度も練習する。『赤き実の』という、素敵な唄なんです。小唄はわりと湿っぽい唄が多いのだけど、お師匠さんの作る唄は可愛らしい唄ばかりなので、好きだし唄いやすい。。。三味線のほうは難しいのだけど。
 
 お稽古を終えて、同じ職場の女性と待ち合わせて、森下の「魚三酒場」へ連れて行って貰った。「酒場」っていう響きに異様に興奮するあたろーである。わくわくしながら森下駅まで歩いていく。このあたりって、柳家さん喬師匠の独演会の折、何度か通っていたのだけど、こんなお店があるなんて知らなかったなあ。どきどきしながらのれんを潜る。わ、18時というのに、もう店内ぎゅうぎゅう。かろうじて2席空いていたので座ると、後から新しいお客さん達がどんどんやってきて、入り口にずらりと立って並び始めた。店内、まさに酒場、だ。居酒屋っていうより、酒場、って感じだ。コの字型の大きなカウンターが2つ、その回りにぐるりと丸椅子があり、隣のお客さんと肘が触れあうほどのぎゅうぎゅう詰め。みんな赤い顔してわいわいがやがや。いいなあ、この雰囲気。刺身や焼き物などの魚料理が中心。中落ち、鰺、赤貝、焼き穴子、大根煮、アラ汁、ビール、大関。で、お腹いっぱい、ちょうど良い酔い加減。さすがに刺身旨い。アラ汁にも感激した。・・・あ、接客のおばちゃんは怖い。注文の仕方やタイミングが悪いと睨みを効かせて怒る。注文もすぐ忘れる。接客の人数が少ないからしようがないんだけど。最後店を出るときは笑顔でお愛想言ってくれたのでぜんぜん問題なしですが、接客態度にすぐカチンと来る人は覚悟が必要です(笑)しかし、わたし的にはこんな店に連れて行ってくれた彼女に大感謝であります。
 巣鴨にも欲しいなあ、こんな酒場。もっとこじんまりとしていてもいい。女性1人でフラリと入って、気ままに呑んで、すっと出てこれるような。
 森下あたりにいつか住んでみたくなってきた。のらくロードのそば。

 今日は、文学サークルの勉強会(と呑み会)もあったのですが、最近夜遊びが続いていたので、自宅謹慎にした。休肝日兼小説書きに集中・・・のつもりだったのが、朝早起きしたはいいけど、原稿用紙広げる前に、ちょっと、本棚をごそごそと整理始めてしまい、おまけに、昔買ったけどまだ読んでなかった本を見つけて、なんとなくページをめくり始めたら、はまってしまい、ずっとそれを読んでしまった。
 『謎のクリスタルスカル』(クリス・モートン+セリ・ルイーズ・トマス著南山宏監訳/徳間書店)
 確か、グラハム・ハンコックの『神々の指紋』がまだ記憶に新しい頃、邦訳は1998年出版で、私がブックオフで買ったのはその直後だったから、もう7年位読まずに所有していたという、勿体ない話です。当時読もうと思っていたのだけど、すぐ他のことに興味が移って読まずにきてしまった。それが、今読み出したら止まらないほど面白かった。なんでこれもっと早く読んでおかなかったんだろー、とも思ったけど、たぶん、今読むのが自分にとってもっとも理解できるというタイミングなんだと思う。
 古代マヤの遺跡から発掘された精巧な水晶のドクロ。チャネリング能力のある人を通して、ドクロからメッセージが発せられる。似たような水晶ドクロは世界各地に散らばっている。13の散らばる水晶ドクロが、人類にとって大切なある時機に集合して、人類に叡智を与える、という伝説もある。独立系テレビプロダクションを主宰する著者達は、ひょんなことからこの水晶ドクロに魅せられ、世界を股に掛けて調査を重ねることになる。
 一見すると荒唐無稽なトンデモ話に思えるし、昔の私だったら、この本に書かれていることの半分も理解できず、また理解しようともしなかっただろうけど、今の私にはひじょうに面白い内容だった。
 地球は過去に何度も大災害に見舞われ、生まれ変わっていること、人類は大昔、地球外から訪れた異星人が、地球にもともといた霊長類に自分たちのDNAを掛け合わせて作り(荒唐無稽に聞こえるけれど、今の人間がまさにDNAを操作して生命を操作し始めていることを考えると、あり得ない話ではない)、霊的な進化を加速させた(ダーウィンの進化論は「ダーウィンの」でしかない)。人類には地球外生命から様々な高度な知識がもたらされ、クリスタルスカルはその知識が詰め込まれた叡智の記憶装置である。そもそも水晶は人間には感じ取るのが難しいほど微細なエネルギーを振動によって受信し、記憶する。
 ちなみに、水晶は地球の核の部分の多くを占めているそうです。私の勝手な想像ですが、地球全体が巨大な水晶製のアーカシックレコードの受信・記録装置となっているのではないか、という気がします。それに、人間はもともと体内に水晶と同じ結晶構造を持ち、互いに共振しやすい間柄であるといいます。
 と、本の内容に戻ると、異星人(本書ではあまり触れられていないけれど、ここで言う異星人とは、必ずしも今の私たちと同じ次元にいる存在とは限らない、というのは他の本で何度か読んだことがあります)によって高度な知識や技術を貰った人類は、ムーやアトランティスやレムリアなどで、ひじょうに高度な文明を発展させたが、やがて環境破壊がすすみ、ある時自分たちの技術を過信して使い方を誤ったために、洪水などの災害に見舞われて大陸ごと海の中に沈んでいった。その際、アトランティスの人達がクリスタルスカルも持ち出して中南米に移動し、先住民と共にマヤ文明を作り、しばらくマヤの人々がクリスタルスカルを守った。その後アステカ文明が起こり、やがてスペイン人が征服に来てマヤ、アステカなどの貴重な文化遺産を略奪し破壊してしまったために、今日、かなりの量の古代の重要な情報が失われてしまう結果となった。クリスタルスカルはそのさなかに世界に分散し、来るべき時に備えてそれぞれ大切に守られ、或いは(人の手から手へ)旅を続けているらしい。
 今、古代マヤ歴にもとても興味があるのですが(その話はまたいずれ・・・)、古代マヤ歴についても書かれてあり、また、エジプトのピラミッドとマヤのピラミッドの共通性や、ナバホやホピ族の指導者ともコンタクトを取り、いろんな角度からクリスタルスカルについて調べている著者達の姿勢に好感が持てた。
 実はレムリアやアトランティスに関する本もいくつか読んでいるのですが、どの本の著者も、高度に発展した文明が、忽然と消えてしまった理由や、人類がほんとうはどうやって作られたのか、どういう道を辿ってきたのかを知ることは、現代の私たちが、自分たちの技術を過信して、また自分たちだけが地球の主であるかのように傲慢に振る舞い、さらには互いの命まで奪い合うという現状に対する警告を発するために、必要なことである、というようなことを述べています。私も同感です。
 人類は、どう考えても、古代のある時期に、外部からの手が加えられているとしか思えない進化を遂げている。しかし、今ある科学技術や経験や理論などでどうしても証明できない事柄は無視されるか異端視される。だけど、近年、世界各地で、それら異端視されてきた説を裏付けるような遺跡などの発見が相次ぎ、また魅せられて調査や本に著す人も増えているというのは、画期的であると思う。人類がようやく、自分たちのルーツを正しく知る準備が出来てきたのだという気がする。と同時に、知識の進化を加速させねばならないある重要な出来事も迫っているのだという気もするし、そういうことをすでに述べている本も多い。
 



 
 


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