あたろーの日記
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2006年06月20日(火) 死刑制度に思う。

 旧暦5月25日。
 酒断ち2日め。
 なんかこのところ寝苦しかったり(暑くないのに)、頭が痛かったりと。やはり適度な運動をやって健やかに生きなければ。
 今年の登山予定。8月富士山。10月尾瀬燧。10末〜11月奥多摩?秩父?あたり。富士山と尾瀬燧ヶ岳は昨年と同じ。私って懲りない女なの。

 広島県光市で99年、当時18歳の「少年」に23歳の女性と11ヶ月の女の子が殺された事件。最高裁が二審の無期懲役判決を差し戻し。広島高裁での無期懲役判決に割り切れない思いがしたのですが、これで少し納得出来るような気がした。加害者が「少年」で、更正の可能性があるとか、情状酌量の余地があるとか、そんなこんなで簡単に無期懲役にしていいものかと疑問に思っていた。
 一方で、死刑制度も心の中に引っかかるものがある。加害者にも被害者と同じ恐怖、痛みを味わうべきだと思う。被害者の苦しみ以上の苦しみを知らなければならないと思う。残虐な行為で人の命を奪った加害者がこの世で更正する必要はあるのだろうか。被害者は突然明日を奪われたのに。だけど、加害者を死刑にするとしたら、加害者の命を奪うのもまた同じ人間だ。判決を下すのも人間、実際に死刑を執行するのも人間。それに、たとえ表面上どんな凶悪な加害者だとしても、その内面を他の人間が100%把握できるわけではないのに(本人だって把握できないのに)、人に対して人が判断を下すということの危うさも感じないわけではない。
 ・・・おそらく、死刑制度については永遠に答えは出ないと思うし、肯定でも否定でも、答えを出すべきことではないような気もする。答えを出せないまま、死刑制度について考えたり議論したりすることが、命の大切さを認識し続けることになるので。
 
 それにしても。被害者の気持ち、遺族の気持ちを考えると、ほんとうにやりきれない。日本はどうしてこんなにも被害者に追い打ちをかけるような残酷なシステムになっているんだろう。他の事件にしたってそうだ。加害者の人権は神経質な位に守られるのに、被害者の人権は見向きもされない。加害者が「少年」の場合はなおさらだ。法律上結婚が許されている年齢であるならばもう責任ある立派な大人と見なして良いのではないか。長い裁判を被害者遺族が辛い思いをして耐えている間、保護され続ける加害者の立場はおかしいと思う。せめて、名前と顔写真を公表すべきだ。


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