あたろーの日記
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2006年10月15日(日) ふと、思う。

 旧暦8月24日。
 「核武装「大いに議論を」=船舶検査法、見直し必要−中川自民政調会長」時事通信
 やっぱり出た。日本核武装論。アホか。でも、これが今の日本の政治家の成熟度である(一部かもしれないけど、・・・そう願うばかりですが)。
 北朝鮮の核実験、国連でも非難決議。当然であるけれど、核実験をしているのは北朝鮮ばかりでない、アメリカもあまり表には出ないけれどちゃっかり核実験を行っている、そこにどうして視点移動できないのか、分からない。毎日テレビ新聞で大騒ぎしている割には、核に対する根本的な見方を間違っているような気がしてならない。日本に放射性物質が落ちてくるから?日本を有事の危機へ巻き込むから?東アジアの力の均衡とそれによってもたらされている現在の平和を乱すから?それ、全部当たっているし、大切なことだけれど、そもそも、核なんつう恐ろしいエネルギーを、軍事力として持っていることを、それがどの国であれ、根本的に人間や地球への暴虐として、脅威として考えるべきである。北朝鮮が核実験を行った、やっぱりとんでもないならず者国家だ、というのではなく、北朝鮮も含めて、核を、他国へ脅威を与える手段として所有する国全てが、同じように非難と制裁を受けるべきではないか、と思います。
 最近の報道を見ていて、強く思うのは、北朝鮮の核実験にこうもヒステリックになれる日本の政府と報道機関が、どうしてアメリカなどの大国の核実験や大量虐殺や他国への侵攻に対して反応が薄いのかなあ、という疑問です。距離的に北朝鮮が近いし、拉致問題など関係の深い問題も山積みということもありますが、どの報道機関も、画一的で、自分の視点というものがない、という感じがしました。
 核実験も、拉致問題も、ミサイル問題も、日本に住んでいる人間として、とうてい傍観しているわけにはいかない問題と思うのですが、こんなことしたって、北朝鮮の反応はこうとしか返ってこないだろう、っていう対抗措置しか、相変わらず取れない政府と、それを煽り立てる報道って、なんつうか、発展してないなあ、と思うのですが、それは、たぶん、国際的に、自分の立ち位置を定位置にしか置いて考えることが出来ない長年の習慣によるものなのかなあ、という気がします。


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