浪漫のカケラもありゃしねえっ!
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2002年02月18日(月) |
『地獄の黙示録・特別完全版』....圧巻でした |
22年ぶりに『地獄の黙示録』を見た。それほど期待していたわけではない。もともと『完全版』『ディレクターズ・カット』という言葉には弱いのである。 『ブレードランナー』や『レオン』のそれは、メイキング本で公開時の編集の経緯を知った故に「見ずには済ませられない」といった変更部分の確認の意味もあった。 『黙示録・完全版』の場合はやや異なる。初公開時には、自分は高校生だった。ワグナーやドアーズの意味した背景もよくは知らなかった。前評判どおりに難解で傑作とも失敗作とも評価しがたく、ひどく長く感じさせたこの映画に、54分の未公開映像の追加。今になって再編集するとは、何をそれほどに描きたかったのか。 大人になり、ベトナム戦争やさまざまなシンボルの意味を知った目で見れば、あの映画をもう少し理解できるのではないか。それを確かめたい気持ちもあった。
上映が始まると、たちまち打ちのめされた。追加された映像で、驚くほど細心に作り上げられた作品になった。映像表現もテーマも物語も、まるで昨日撮影を終えたかのような新しさを感じさせる。3時間26分の上映時間を短く思わせる映画に、それは生まれ変わっていたのだ。 何度も身体が震え、叫び出しそうになった。恐怖でも驚愕でもなく、狂気に浸食された叫びだ。必死で自分の状態を客観視し、映画の中のシンボルの意味を探して脳裏で言葉にしながら、やっと理性を保った。映画館を出ても、街角のふとした機械音にヘリのローター音と映像が幻視された。この映画を語りたい言葉が、次々あふれて止まらない。私をこんな目にあわせた映画は初めてだ。 ベトナム戦争の狂気と不条理と混沌、映画という芸術表現の持つ狂気とエネルギーがシンクロしていた。四半世紀の時間をこえて、完成した表現を求め、このような在り方をした映画はない。身悶えのたうち回る映画人達の狂気。それをまともにぶつけられた気がした。 22年の時を経て、ついに最も愛し尊敬できる映画に出会った。そんな思いに駆られている。
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