浪漫のカケラもありゃしねえっ!
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2004年08月16日(月) |
競技とは、なんとせつないものか |
日曜夜はハンガリーGP、月曜夜は「ツール・ド・フランス」総集編とばっちりバッティングした時間帯から夜明けまでアテネ五輪「男子体操・団体」。これでどうやってオレに寝ろというんじゃい!(号泣) ハイ、もちろん見ましたさ。ビデオセットしてたのに、夜明けの表彰式まで全部ね。寝ずに仕事行ったわよ。夕寝のおかげで倒れずにすんだけどな。ふは、ふははははは、ふあああああ。←途中からあくびになったらしい。 寝不足のせいか、ハム兄弟はソーセージ、なんというベタな駄洒落が頭をぐるぐるぐる。 それにしても、ツカハラって、あんなに美人だったっけなあ? もしかして、年を経てどんどんいい顔に育ってきてる?
五輪。私にとっても4年に1度のプチお祭り。 ほかの競技はどうあれ、男子体操だけは見逃したくないんだよなあ。 ええ、あたしゃ筋肉骨格フェチですから。(笑) お人形のように整った端正な顔立ちの童顔マッチョ青年大好きですもん。(だからシュー兄弟にも惚れたんでしょうなー) ロシア・東欧系のカワイコちゃんは、骨格がまたいいんだ! もっとも最初に男子体操選手に惚れたのは、ロス五輪のときのチャイナのエース、李寧くんでしたけどさ。 超絶な技を駆使しまくるロシア選手たちは美肉美人が多すぎて、いつもそれぞれの名を覚えられんかったとさ。(をい)
そこに存在する、鍛え上げられた美しい骨格と肉体。 この競技のためだけに、常人にはありえない形に太く発達した筋肉。 緊張した若い顔。きりりと顔を上げ、己自身の限界に挑んでいく。 ウルトラCから、今はスーパーEへ。次々と現れる新しい技。 さらに高く、さらに力強く、さらに美しく、と。 競技の歴史に名を残す先人たちに挑み、彼ら自身が歴史となる瞬間。 やり直しのきかない競技の一瞬のために。ヒトの能力が持つ限界に挑みつづけていく、途方もない努力。 それが結晶していく瞬間を、私は愛しく思う。 力の配分、スピードとバランスが少しでも乱れることを、高難度の技は許さない。 力技に浮き出す筋肉の束。わずかな乱れもなく、技が決まる瞬間の恍惚。 驚きと陶酔とともに、その美しさに息を呑むのだ。 私にとっては、どの国がメダルを取ろうと、かまわないんでしょうな。 緊張感に、プレッシャーに敗れ、ミスや落下が頻発していった、決勝。 ルーマニアに、チャイナに、わたしゃあ胸がキリキリしちゃいましたよ。 仲間たちが迎える姿。心の中の動揺を映し出していた、若い顔。 最後の最後に、圧倒的な技のキレを見せてキメていく、ジャパン。 むごいほどの強さ。それもまた、王者に必要なものであると納得して見つめましたが。 「参加することに意義がある」という言葉。参加することのできなかった数多くの競技者たちのピラミッドの上に存在する、五輪。 競技とは、五輪とは、なんとむごいものかと、思ってしまうのさ。
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