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■ 世俗の話題
なんか、まじめになってしまうんですが。 まあ実はらぶらぶaccess日記じゃなくて もともとこういうことを日記で書こうと思ってたので。
新美被告死刑判決。 彼は、最後まで麻原を、オウム教を信じて、 人を殺したことも自分の宗教には反してないと言い切った。
なんかね、宗教って人事じゃなく感じちゃうんですよ。 いわば、私にとってaccessは一種の宗教だったから。 accessは唯一無二で、私があるのはaccessのおかげで。 排他的access主義。他なんかいらねえよ、と。 accessがないなら生きてる意味はないじゃん。って。
どうやら彼も、いじめとかにあっていて、自分の存在価値を 見いだせなくて、でもそんな時に宗教に出逢って、 助けてもらっちゃったらしいんですよ。 そういうときに助けられると、ホントに神様に見えるんです。
だからね、罪もない、なんら関係もない人を殺すのは 余りよくないことだと思うけど、それ以上に 私はこの人が可哀相でなりません。 他人にとってどうあっても、自分にとっては信じたものが こんな結果だったんだから。 まあ、でも死刑になっても本望なんでしょうね・・・。 私だったらそう思うから。
「宗教は弱い心を支配する」なんて嘘です。 「弱ってる心に入り込む」んです。 助けを求めてる人ほど、ホントは真っ直ぐ前を見てる人で。 『死にたい』って思う瞬間ほど生きる意味を強く求めてて。
大丈夫です。 確かに、笑って、素直に真っ直ぐに生きていければ 知らぬが仏で幸せな人生送れるでしょうけど。 でも、苦しみも知らないで、何が人生?とも思います。 苦しみを知らなければ、本当に幸せを感じることも 出来ないんじゃないでしょうかね。 そういう意味では、彼は苦しみを知ることが出来たのに 本当の幸せを感じられたのかなあ、と思います。
まあでもわかんない。。。幸せなのかな・・・?
2002年06月26日(水)
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