元・白血病患者の日記
 

2003年07月11日(金) あの時を(少しだけ)思い出せ!

 ご前中はパソコンの再入力やら梱包で終る。ここまでして妹に届けるんだから、きっちり勉強してもらわないと。でも、今だ黒電話を使っているあの実家で、パソコンはどこまで利用されるのか。

 午後になって前々から行くと決めていた新宿へ。入院をしていた病院へと行くのが目的だ。今、外来は蒲田の病院なのだが、退院してすぐは新宿まで通っていたわけだ。月一のペースだったが、気持ちはいつも引き締まっていた気がした。そりゃ半年近く色々な目にあってた病院である、気持ちも引き締まるというものだ。

 入院してた当時は、気持ちだけで乗り切った。病院から出たい、美味いものが食べたい、子供と遊びたい、仕事がしたい、自由になりたい、そして死にたくない。

 それが何だろ。鬱なんぞになってしまい、ひどい時には死にたくなるなんて。あの時の気持ちはどこ行ったんだ! というわけで、(心に)空気を入れに新宿へ。

 暑い日(31℃)だったが、電車に乗れば肌が痛くなるような冷房が。今年って、原発が悪さばかりしたから停止してて電気が少ないんじゃなかったのか? 何もこんなに冷やさないでもって感じだね。背広のオジサンは心地よさそうだったが、脱げよ。

 そんな暑い日だったが、JRの駅から新宿2丁目を目指す。昔、新宿で働いてた頃によく通ったコースである。当時はカメラなどの入った重いカバンに背広姿…今はTシャツに軽いリュックだというのに、フラフラしている。目的地である蕎麦屋の遠いこと。なんでわざわざ、蕎麦屋まで来たかというと、一年中、同じメニュー(大盛り)を食べていたから。懐かしかった。値段も550円のままであった。

 地下街を通り、新宿署近くの病院を目指す。18階建ての病院が見えてくる。何度も通った外来では、この建物を見るだけで入院当時を思い出し、外に出られた感動に浸っていたものだが…。そうなんだよ、抵抗力がなくて、空気清浄機のある場所しか動けなかった当時からすれば、なんて恵まれた生活してんだと思わないといけないのに。

 面会時間の3時にはまだ少し早いので、ロビーで待つ。退院前は、早朝にリハビリをしたもんである。地下に行き、売店で子供の土産のドライフルーツを買う。何もない売店だが、入院中はココまで来れなくて苦労したんだもの。なんか来てよかったな、と。

 18階まであがると、知ってる看護婦さんは一人しかいなくなっていた。婦長は夜勤明けでいないし、主治医も出払ってるという。残ってた五十嵐さんは慌しく動きまくり、話に付き合ってくれた。それにしても、覚えててくれるもんだ。何か嬉しい。遠めにまだ入院してるおじさんの姿があった。(こういうのも変だが)元気そうにしている。入退院を繰り返しているらしい。…頑張らなくっちゃ。

 子供は今日、大好きなぶどうを食べられなかったという。喉の軌道がせまく、食べ物を飲み込みにくいのだが、それとは別に嫌いな食べ物が出ると口の中に残したままいつまでもいるという悪癖が。食べ終わるまではデザート無しということなのに、結局、食事の時間ズーッと先生とにらめっこしてたそうである。強情だな。そんな子供と連日、風呂に入っている。当たり前と考えているが、働いてたら土日しか出来ないんだから。

 夜になって子供が8・5℃の熱を出して寝る。風邪か?

 アントラーズのクラブハウスに行くのも、新宿の病院に行くのも、ハタから見れば無駄なことかも知れないが、結構、意味があったかも知れない。実感したのは、体力の無さ。新宿に行っただけで疲れてる。帰りの電車なんか座席に座っていたというのに…。朝の通勤ラッシュじゃないし、仕事もしてないのに。帰りにスポーツクラブにも行ってないのに、疲れている。年齢で体力が下がっている中、今から調子をあげるのは大変そうだなぁ。まずは気持ちから!


 < 過去  INDEX  未来 >


孫悟空 [HOMEPAGE]

My追加