ねろえび日記
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2003年07月19日(土)  剛さんの絵

出版記念展、見に行きたかったです。
7/17付の日記で、盛り下がったことを書いていたのに? はい。何でもいいから剛さん関連のイベントに行きたいというよりも、原画を見て確認したい気持ちになったからです。
どんな素晴らしい絵画でも現物と印刷物には雲泥の差があります。芸術作品の絵画とは異なり、印刷を前提としたイラストは印刷物が原画と同等かそれ以上のレベルを保持するのが理想だと私は思うのですが、やはり原画の持つ力も大きいと思うのですね。で、原画を見ても私の印象は同じなのかなと、ふと思いまして。

剛さんの活動のほとんどを溺愛、盲愛しているのに、なんで絵だけはシビアに見てしまうのかと言いますと、剛さんの中でも他のジャンルとはレベルが違うし、私の中でもレベルが違うからなのです。
剛さんの音楽は、周囲に教えてくれたり刺激を与えてくれる存在もあるし、本人の入れ込み方も熱心なのでそれなりのレベルに日々進歩していると思います。芝居についても、本人の意識は音楽とは多少異なるかもしれませんが、やはり周囲の環境、本人の素質ともに恵まれていると言えるでしょう。絵については、音楽、芝居とはかなり事情が違うのではないかと考えています。

で、私のほうはといえば、音楽と芝居のことは詳しくないのですが、絵についてはそれらよりは少しは親しみが深いです。といっても、学術的にも実技に関しても正規の美術教育を受けたわけではなく、現場主義の叩き上げでしかないのですが。だから、剛さんが正式に勉強したわけでもないのに……という引け目みたいなものを感じている気持ちも何となくわかります。感覚(センス)も大切だけど、子どもが描いたようなゆる〜い絵でも実は作者は超絶技巧の持ち主だったりするわけで(正規の美術教育を受ければいいというものでもないのですが)

ともあれ、仕事と趣味で数多くの絵画に現物や印刷物で接してきて、学術的な専門知識、体系だったことはすぐに忘れてしまったのですが、感覚的な面で蓄積したことがあるし自分なりの好みも確立してきました。そのため、余分に口煩いのかと。芸術作品とイラストは違うやろと思いつつも。

とはいうものの、剛さんには自由に好きなようにどんどん絵を描いていってほしいです。いつか、326(中村)でもみつを(相田)風でもない(ま、今でも剛さんらしいといえばらしいのだけど)ワタクシがどひゃー参りましたという絵を描いてくれるのではないかと夢見ております。それもまた楽しみ。

剛さんの作る最近の楽曲は、ヘンな乙女くささ、イタさを払拭した作品も作れるようになったのに、書くものと描くものには、まだまだたっぷりこってりなのは、どうしてか。まだまだ後者は「作品」ではないからなのかも。ある意味それだけ生な剛さんなのだわなぁ……。

何故、好みじゃないの一言で済まされないのか。愛してしまっているからなのねぇ(やれやれ……)


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