うーん、どう考えてもやっぱりショック...しょぼーん。 radioactiveに初めて出会ったのは2000.09.17のon air east。 ピクシーズのトリビュートのレコ発ライブでした。スゴイ豪華出演陣↓。 drumkan/radio active/cowpers/naht/ca-p/ビートクルセイダーズ/ モーサムトーンベーダー/ペンパルズ/FEED/seafood/惑星
当時radioactiveをまだ知らなかった私は、audioactiveとごっちゃになっていて 何で今日audioactiveが出るんだろー浮いてるよ?くらい思ってました。 知らなかったバンドはradioactiveだけだったと思います。気を抜いていました。 たしかこのイベント昼くらいから始まったのですが、radioは最初の方だった 気がします。衝撃的でした。まだ昼の早い時間で、会場もなんとなく浮ついた 空気だったのだけど、岡田氏の狂気に満ちた姿に私は動けなくなりました。 その姿はステージの上で飾るとか観せるとか考えていないように見えました。 ただただ必死に生きていて吐き出さなきゃイケナイものを吐き出している、 そういう感じでした。つくっているものではなくそのまま在る感じでした。 モノスゴイモノニデアッテシマッタ...それが最初の出会いでした。 それから何度もライブに足を運び、音源を聴きました。ある時期は正直、 バンドとして何か迷っているのかな?と感じる時期もありました。そんな中、 活動休止したり復活したり、これから何かを乗越えていくのだろうと思ってました。 うーん、いつもそうだけど、いろいろあると思いますがこれからそれぞれの道を 頑張って下さい、なんてそう簡単に言えないよ...っつー話な訳。 vocalが抜けるってのはほんとモノスゴク大きなことで、どう考えても違うバンドに なるんですよ、こちら側にとって。もちろんどのパートもそうですけど、 ぶっちゃけ、過去今までいろんなバンドのvocal交代劇観てきましたけど、 変わらないって言ったってそんなコトはありえない、違うバンドになります。 てかファンにとったら違うバンドにしてください、ってなものです。 スキだったものが2度と観られないっつーことな訳です、それがなにより哀しい。
関係ない話しですけど、学生と非学生とは大きな違いがあると思っています。 年令ではなく、学生という肩書きを持っているということが。 そして現実の生活の基盤を誰がつくっているか、ということ。
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