2007年05月12日(土)
大学生のころ
プー子だったころ
よく有名なお菓子の店へ
わざわざ 遠くまで 出向いたものです。
今日、ひさしぶりに焼き菓子の美味しい
東川口のアルカイクに連れて行ってもらいました。
その道すがら(バイクに乗せてもらいましたが)
ふぬふぬと考えて、いま思えば あのころ贅沢なことしてたなぁーと。
お金をかけて お菓子を食べにいくこと。
それは決して日常において 不可欠なことではなく娯楽のひとつだと言えます。
いま年齢と財布の中身が「反比例」の状況で 私は初めて気が付いたのです。
美味しいものを、 ジブンのすきなものを、 選び、それと獲得できること
それは とてもとても 贅沢なことだと思うのです。
毎日の着る服、毎日の食事。
こだわりや 好みを 問わなければ 低料金ですむのでしょう。
それでも私はジブンの好きな服を着て 食べたいものを口にできている。
ものだけでなくジブンの一緒にいたいと思える 「人」とさえ時間を過ごすことができているのです。
あぁ なんて幸せ なんて贅沢。
この状況で 私は不幸せだと思うことこそが 贅沢なのでしょう。
いま わたしは 今以上に収入が増やすために
新しい仕事につくために チャレンジをしています。
今の状況は幸せに変わりないのですが 私の周りの人は「もっといい職業につきなさい」、といっています。
以前は うざったいなと少し、思っていたのですが
彼らの言葉を解釈すれば もっと幸せになれ」といってくれてたのでしょう。
ジブンの物欲を 満足させるために 仕事を選んでいるのか、とふと 思うことがあります。
でも仕事を選ぶ理由としては 正直でシンプルで 一番妥当なのかもしれないと考える。
とてつもなく 文化的な生活を望んでいるのに その根底にあるのは 本能の欲するままに生きる私。
間逆でありながらも どこかで強くつながる この二つのバランスをとりながら 人は生きるのかな。
それが人間という生き物なのかと こんなに不安定な生き物なのかと
もんもん と 考える 5月の夜でした。
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