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2002年08月16日(金) ■考察文:占いにおける創造的観点(…?)■ |
最近ちょっと、FILL路線から脱線気味が多い。悩める季節なわけで…。
私はたまに、知人や自分のことを占う時がある。占いというのは多くは悩んでいる状態時にするものなのだけど、人により捕らえ方は様々。私の思う占いの活用とは、運を委ねるためではなく未来を創るための手がかりとしたいところ。
キャンバスに絵を描こうとした時、対象物が目の前にあってそれを写実するだけなら、それは単純にデッサン力というテクニックによって、表現は左右される。が、そこに対象物がなかった場合、それを見た記憶力か、あるいは見たことすらないものならば、それを示す情報を頼りに想像し描いていくしかない。
例えば言葉の伝達だけでりんごを描きおこしていく時。それは赤く丸い果物。
現実性とは、その外観を現すようなもの。 『朱に近い赤を基調とした色合で、ところどころに橙色がかった線上のまだら模様があり、頭と底の部分は凹んでいる丸みを帯びた手まり大の果実』 少しはリアルな実物に近付く。
体験値とは、他との比較を現すようなもの。 『甘酸っぱくて、固い歯触り。すっきりした香りさわやかな後味を残す。さっぱり爽快フルーツ』 感覚が加わった質感表現に近付ける。
そして、運勢とは表現に幅を広げるようなのもの。 『その昔人類の源と呼ばれた人間は、これを食べ、生の苦を背負うこととなった言われる、禁断の食べ物』 この一言が加わると、りんごを描くという作業は人それぞれの想像力から、創造力を促すものとなる。
禁断なニュアンスを加味して人に伝承されてきたという背景が組み込まれ、感じ取った人それぞれの、世界に一個しかないりんごが表現されていく。
つまりは、未来を模写や写実するのではなく、創造していくための想像力を豊かにさせる手法として、誕生からひも解く運勢を占うことを私は好んでいる。
なんで、こんな話をFILLに書くのかって? いやぁね、昨夜書いた知人のことを占ってみたら、とても現実的な性格だと出たものだから、占いなんて戯言になってしまう気がして。ゆえに、創造も、人生の選択も、現実的なテクニック向上はもちろんのこと、それを超えた視点を持つべきと暗示してると思いたった次第。
ちなみに私の創作においては、テクニックすらおぼつかぬまま、感覚に頼るだけの代物なので、ごたく並べる前にまずは精進あるのみって注釈つけておきますが…。
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