度々旅
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2003年08月26日(火)

 今は26日になったばかりです。だから、昨日の日記みたいだけれど、昨日の分のところにはもう書いてしまったので、こちらへ。こうやって、部屋の中にいるだけなのに、いろいろ書きたくなるのは、それだけ頭を使っているということか、ただの逃避の反省文か。。。
 今日、再びテキストを読み直し、図にしたりして、なんとか内容の方向性をまとめなおしてみたものの、いざ書こうと思ったら書けず。。。図にしているときは、自分の中でイイヨイイヨーって声が聞こえていだのだけれど、休憩をはさんだら、すっかりそれが抜けてた。ダメだぁ。
 その後、ワイドショーなど見て、横田ママの姿になんともいえない気持ちになった。横田ママの顔を見ると、「みかんの花咲く丘」が頭の中を回っていつも泣けてきてしまう。めぐみさんと一緒に歌っていたそうだ。あの歌詞の中に「はるかに見える青い海 お船が遠くかすんでる 」「黒い煙をはきながらお船は どこへ行くのでしょう」という部分がある。なんだか、横田ママが新潟の海を眺めている図がこれにはまって、ああああもう悲しすぎると泣けてくる。
 先週くらいから少しずつまた北朝鮮問題で騒がしくなってきている。一応、ものを考えることを専門としている身として、現実問題とできるだけ乖離しないようにしていきたいと思っているのだけれど、考えはじめるとやっぱり感情が先に走ってしまう。この部分は反省である。
 専門家は客観的判断を述べているように見えることもあるだろうが、それらは決して客観的でもなんでもなく、その人が既に持っている性向や、文化や伝統、受けてきた教育が反映されている。もし、本当に客観的な主張を行っていると本人が思っているとすれば、それは完全に現実との乖離だ。なんらかの判断とは、ある規範や基準に基づいて行われているように思われるが、そうでない場合も多々ある。寧ろ、日常生活における諸問題は、変化する規範に従っているといえる。規範は、状況状況でかわる。そのように変化するものは規範でも規則でも基準でもなく、ただの日和見主義だと思われるかもしれないが、現実と乖離した基準や規範が、何の役に立つのであろうか。現存する基準や規範に現実をあわせるのではなく、相互に変化が必要である。それらは、大きな過ちを犯す場合もあるが、一つの規範に従うことが過ちを犯さないという確信もない。ならば、柔軟に変化を求めて、必要に応じてさまざまな基準は変化されるべきである。より良い原理なんてものはなくて、ただその時その時に必要な方法があるだけだ。何かを批判する工程で、このような規範の変化は行われると思う。私たちが、何を守り、何を批判するかという判断が、日常においては先にあるのではないだろうか。

 あ。なんだか、原稿を書いているときみたくなってきた。いかん。原稿の時は文字が進まないのに・・・。その上、話もずれてきてたし。頭の中はもう、ぐちゃぐちゃだ。


こげんき |MAILBBS

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