| 2003年10月23日(木) |
きみはきみでいてほしい |
敬語ってさ。日本に生まれるべくして生まれたんだろうね、とこの間父親(理系)と話してました。 尊敬の対象である人のことを指して話す時、相手の名前を直接呼ぶことがもったいなくも恐れ多い(もしくははしたない)というにゃっぽんじんの人々は、直接名前で対象を示す代わりに、敬語というものを編み出したんでしょう、と。 御名前、御姿といった風に御、というものをつければ、何度も何度も相手の名前を繰り返し提示しなくても通じるんだもんね。話の中に尊敬する人以外の登場人物が混じってても、御さえあれば誰がしたことなのかわかるんだもの。画期的っちゃ画期的。でもこれのおかげで更ににゃっぽんじんのにゃっぽんじんのかほりが増したことも事実です。
そしてまた、二重敬語なんてものも、古典の中でしか存在し得ない、天皇onlyに対して使用できたものなんであって。
ね。
今日本屋で立ち読みをしながら。 わたしは愕然としました。
今まで私が喋り言葉(だけじゃないけど)に任せてやたら使っていた敬語は。 敬語として成立していないということに。 それどころか、日本語として成立していないということに…(呆)
「お聞きになられましたか」なんてその典型だよね。「お」がついてるのに「なられましたか」だなんて。「お聞きになりましたか」が正解ですよ。はぁ。 これだから日本語は難しいって言われるんだ…日本人でもちゃんと使えないのに(わたしがむちなだけですかそうですね)。
あとアレだ。私は使ったことないけど。「●●の意見はクラスに波紋を投げかけた」。これもおかしいと。波紋は石が投げ込まれて「広がる」ものであって、「投げ」られる(これは可能の「られる」ね。投げ「れる」ではオカシイ)ものではないのです、と。
…これからは先生にそんな言葉は使わないようにしよう…。しょっちゅう二重敬語だった気がする。私。
でもまぁ、そんな日本語の不可解さにも気づかない日本人の方が今は多いのかもしれないけどね。だけどそんなこと言ってると年配の方々から怒られちゃうし。将来言語の未来は暗くなりそうだし。
…別に私、言語文化を専門に勉強するつもりじゃないんだけどね?
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