瀬戸内寂静「釈迦」を読んだ。 これは、釈迦が涅槃に入るまでの、最側近の侍者アーナンダの視点から描かれた人間模様と釈迦の教え。
スリランカ仏教は、釈迦崇拝なので、この国で暮らしていくなら一応こういうことも知っておかないといけないな、と思った。
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今更ながら平家物語の冒頭。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響き有り 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕す
高1の古文のテキストにもありました。 のりひとが、古典なんか大嫌いだ! とほざいておりました。 まぁ、気持ち、わからんでもないがな、のりひとよ。 ママも古文は苦手だったけど、40半ばになってから、こうして平家物語について考えてみたりすることもあるのだよ。
平家物語は作者不明。 口頭伝授である時代に、かな文字で記録されたのだろう。
ニッポンの平家物語だから、古典文学者が無理やり訳して、釈迦の真理とはかけ離れた解釈があったので気になった。
祇園精舎の鐘の声……ネットの誰かのサイトで読んだんだけど、祇園精舎のあるインドのサーヴァッティに、日本人が鐘の声を再現すべく鐘楼を作ったのだという。
なんだか祇園精舎が観光地化しているようで興ざめしてしまった。 鐘の声は耳で聴くものではなく、心で聞いたものだったのではないのか?
沙羅双樹の花の色……釈迦が入滅するときに、寝床の四隅に置かれた赤い花が真っ白になってしまったそうだ。どんなに栄えたものも衰えるということの教え。
で、ニッポンの古典学者さんたちは、沙羅双樹の花を日本産のツバキ科の「夏椿」だと解釈しているらしい。その夏椿とやらを写真で見たけど、違うよ、全然。インド原産の本物の沙羅双樹とは。
スリランカでは、キャノンボールという。 朱色〜えんじ色系のお花で、かたちが真ん丸い。花のおしべが黄色だから、黄色っぽく見えることもある。
その色の強い花が釈迦が涅槃に入るときに色を失って真っ白になった、ということなのだ。
日本産の夏ツバキは初めから白い花のようだ。品種も違うらしい。 お寺の境内によく咲いているし、白い花だから沙羅双樹の代用としたのかな。無理やりこじつけて。
そこらが、ニッポンの学者的視点でげんなりした。 花の種目の確定ではなく、花の色の変化そのものが釈迦の教えを説いているのではないのか。
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先月、一人でキャンディの植物園と仏歯寺に行ってきたとき、その沙羅双樹(キャノンボール)を実際に見てきた。
植物園で、通りすがりのガイドさんに 「キャノンボールツリーはどこですか?」 ときいたら、ただ、場所を説明する表情だけではなく、 「外国人のあなたは、(釈迦入滅にまつわる)沙羅双樹という樹に興味があるのですね」 といいたげな眼差しを向けてきた。
そのときは、まだキャノンボールツリーが沙羅双樹と一致しなかったんだけど、あとになってから、ガイドさんのあの表情を思い出して、特別な樹だったんだな、と思い返したりしていた。
スリランカ人にとっても、キャノンボールの花は、蓮の花、ジャスミンの花とともに、祈りをささげるときの思い入れの深い花なのであろう。
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ちなみに、蓮の花は、泥水の中から生えており、水上で美しい清浄な花を咲かせている姿が、仏の智恵や慈悲の象徴とされている。
泥水のような煩悩の穢れのある世界に生まれても、悟りを開けば、水上の蓮の花のように美しい心を持ち清らかに生きることができる、というたとえなのだそうだ。
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池に咲く蓮の花は本当に美しい。オレンジ色や紫色、赤、白、黄色。 私はスリランカに来てから蓮の花が好きになった。
いつもゴルフ場の1番Hの池にたくさん蓮の花が咲いている。 ひときわ可憐に咲く蓮の花を見つけ出し、その花に、心の中で声をかけながら橋を渡る。
そういう時は意外にもスコアがまとまる。 その蓮の花が、私を無我の境地に導いてくれているのかもしれない。
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