2004年07月24日(土) |
哲学:語ります。人生。 |
暑中お見舞申し上げます。藤宮は酷暑と労働時間調整に殺されそうです。 皆様は、如何お過ごしでしょうか?
何だか、物凄く人生について語りたくなりました。なので、語ります。 飽きるまで、語ります。何なら世界の中心で叫びましょうか?煩いですよ。大声で叫びますよ。誰かっぽい話し方になったので、修正利かせないと。おっほん。
私ね藤宮はですね、ぶっちゃけ「死にたがりや」「自殺志願者」に近い存在です。 自殺はする気ないけど、出来れば早く消えてしまいたいのですよ。 昔からずっとね。
何だろう、曖昧な存在で生きるってことが怖いのです。 だから、何か始めると突っ走ってその怖さから開放されようとする。 そんな人生を送ってきました。だから、常に恐怖と不安を胸に走り続けていました。
走っていないと怖いから。存在が消えて無くなってしまいそうで怖いから。 早く消えたいと想っているのに、消えてしまいそうな感覚を感じると怖くて堪らない。矛盾しているのですが、本当に怖くて怖くて泣き叫んだ事もあります。
何かに夢中になる。没頭する。これら行為は、曖昧な存在を確かなものにしてくれるような錯覚を感じさせる。だから、様々なものに対し一生懸命に関り、夢中になり、自分の存在を確認する。しかし、どんなことにも落とし穴が存在している。
壁。
どの世界にも、壁は存在するのです。 人間関係。創作能力。自己能力の限界。
上には上がいるものです。己が中心となっている時は良い。自己能力が発揮されている時は良い。しかし、いったん下に下がってしまうと自己嫌悪。自責の念。不安。恐怖。最後には自虐行為にまで及ぶ。 全てのものが己を嘲笑っている様に想えてくる。
弱い人間は生きていけない世の中。 弱い人間は強がるしかない世の中。
だから、走り続ける。全てを見ないため。生きるため。走り続ける。 それが私でした。
もの心がついた時には「間違って生まれてきた存在」と自覚をしていました。 親に反抗すれば、「何時捨てられても仕方が無い存在」だと自覚していました。 「私なんか、居なければ家族はもっと幸せになれた」と自覚していました。
だから、どんな事も我慢した。 頑固な部分はあったけど、反抗もしてみたけど、最後には捨てられる恐怖に勝てず親の言う事にしたがって生きてきた。高校卒業と同じに歌手になるための学校に行きたかった。でも、親に反対されて我慢した。声優・役者・歌手。表現者になりたかった。夢を与える仕事につきたかった。でも、我慢した。捨てられるのが怖かったから。
家族の中に居ても、友達の中に居ても、私は一人だった。 私の周りだけ見えない壁が出来ていた。 其処から、決して出る事は出来なかった。 悲しかった。淋しかった。でも、笑っていた。 そうすることで、皆と一緒にいる気になれたから。
でも、親はそんな事に気が付いていない。 私は我侭一杯、好き勝手に生きてきたと信じて疑っていない。
だから、私が「情緒不安定症人格障害」になったということが理解できずにいる。
相手の思いに合わせて自分を作って生きたため、本当の自分が解らなくなった人。それが「情緒不安定症人格障害者」なのだそうです。
私の中には何人もの私が居ます。 その場に耐えられる人格が、表に出てきています。 たまに、私は私と会話をします。 同じ私なのに、全く違う考えを持っている事に驚かされます。
人生って、何なのでしょう? 人が生きるって如何言うことなのでしょう?
誰のためでもない。自分のために生きる。 でも、自分のためってどんな生き方なのでしょう?
自慢じゃありませんが、藤宮は友達が少ないです。 理由は簡単です。一人一人を大切に思って接しられる人数が限られているから。 そして、人との付き合い方が下手だから。
そんな、藤宮にも特別で大切な存在が居ます。 相方の藍華です。 彼女と出会うまで様々な傷を受けてきました。 彼女と出会ってからも、様々な傷を受けてきました。
彼女に対して嫉妬とか劣等感とか、負の感情もはっきり言って持ってます。私も彼女も人間だから。あって当たり前だと想います。
でもね、彼女は私を支えてくれる。精一杯支えてくれる。自分が苦しくても、私を支え様としてくれる。彼女がいるから、私は生きてます。 彼女との出会いが、私への救いでした。 きっと、あの日あの時あの場所で彼女と出会わなければ、私はこうして日記を書いている事は出来なかった事でしょう。 今ごろ、閉鎖病棟に監禁されているか土の中だったことでしょう。
彼女のために、私は生きなければいけないのです。 生きてないと、彼女と一緒に幸せになれないから。 私は、彼女と一緒に幸せになるんです。 私は、彼女と一緒で無いと幸せにはなれないのです。
今でも、私は間違って生まれた存在だと自覚しています。 出来そこないの落ちこぼれだと自覚しています。 でも、違うんだって足掻いて強がって生きてます。
人の数だけ人生があります。 私はその人の人生をそのまま受け止めて接したいと思っています。
だけど、ちょっと考えを整理しないといけない時期に来たのかもしれません。 そう、最近想います。そう言った想いは、単なる私の傲慢なのかもしれないと感じ始めています。
最近、私の周りで起きた出来事。 それは、私の人生をもう一度見なおす機会の警告をしている気がするのです。
本当に走り続ける必要があるのか。 強がっている必要はあるのか。 間違った存在なのか。
不安は尽きません。 でも、向き合って考えて行きたいと想います。
私には藍華が居てくれる。コレだけは疑わず信じられる唯一の事実です。 だから、少し自分を見つめなおしてみようと想います。 きっと、私の事だからボロボロになるまで悩む事でしょう。でも、見なおそうと想います。整理しようと想います。 藍華が。葵ちゃんが傍に居て支えてくれるから。
葵ちゃん。宜しくね。 たまに茶をしばきに行くのに付き合ってくれれば十分だからさ。
担当医との話し合いで8月以降少し、休養する事になったのにもそれなりの理由があってだから。これを良い機会に気持ちを想いを整理していこうと思います。
ということで、しばらく日記、書かないよ。
では。酷暑を皆で乗り切って、自分らしさを見つける旅に出かけませう!!
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