書き散らし

2003年06月21日(土) 一言も喋る、どころか生きている資格もない。突き詰めれば。

昨日親とそう激しくもないがものすごくとげとげしい言い争い、というか非難の応酬をした。
お前は自分のことは棚に上げて、ヒトのことなど言える資格なんぞこれっぽっちもないくせに言わなくていいことだけいう。
といわれた。
なるほど資格なんて問えば一言だって喋る資格もない自分じゃないかと思う。
息をすることさえ許されないんではないか?
もしもそんなことを許してもらう必要があるのであるならばだが。


数日前に仕事中、おそらくはキリスト教系列の宗派の人からだと思うんだが何かメモ書きを手渡されてよく聞き取れなかったんだが、ぜひお読みになってください、かお役に立ててください、なんていわれたように聞こえた。
そのメモ自体は仕事場のロッカーに忘れてきてしまっているので内容は不正確なんだけれども
”洞察力は確かに怒りを遅くする。なぜなら違犯(違反ではなかった)を許すのは美しさであるからだ。"
という感じのことが書いてあった。
細かい部分が抜けているからこの覚え書きじゃ意味がきちんと把握できないがなんだか何日も思い出しては考え込んでしまっている。
このメッセージは聖書の抜粋であるだろうし一般的なことを言っているけれども自分に手渡したことにどんな意味があるんだろう。また自分がランダムに余ったメモをぽいと渡されただけにしてもこれを抜粋するというメモの製作者の意図って何なんだろうとか。
自分は何か見逃した違反の数々があっただろうか。
それとも直情的な自分があまりに洞察をすることもなく怒りをぶちまけすぎているって言う遠まわしな警告なんだろうかとか。









今日は暑くて家に帰って食事を取ってからはずうっと台所で片付けを断続的にしていた。食事がばらばらなのでいっぺんに終わらそうとすると十一時を回ってしまうのでそれまで汚れた、食べ物のかすが付き虫の餌をそのままにしておくのはあまりに恐ろしかったからだ。
これだけ暑かったが取りあえずは大きめのゴキがでなくてよかった。
でも小さい奴は台所以外の場所でだけ八回潰した。
何で家族が四人も一緒に暮らしてて90%以上自分が始末しているんだ。



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午陸 [MAIL]