窓のそと(Diary by 久野那美)
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という映画を(DVDで)見た。 どういう勘違いか、私はこれを最後に大どんでん返しのあるサスペンス映画だと思って借りてきたのだけれど、そういうのじゃなかった。 さえない語り手は実は犯人ではなく、誰も実は幽霊ではなく、死んだはずの人はちゃんと死んだまま生き返ることも無かった。緻密に計算されつくした背景が全貌を現わすこともなかった。ただ、そのまんま見ているしかない映画だということに気づいたときには、すでに分類不可能な世界に放り込まれてしまっていた。物語は登場人物の行動するままにどこまでもずるずると進んでいく。
物語を動かすのは思想でも構成でもなく、登場人物の性格と事情なのだった。みんながとんでもなく個人的な事情を抱えていて、だから各々が「だってそうするしかないもんだから・・・」という方向に、物語をずるずる引きずって動くので、彼らの人間関係や物語の展開を既存の言葉で説明しようとするとすぐについていけなくなる。
恋愛の定義、同士の定義、友情の定義、運命の定義、というようなものを描く作品があるとしたら(たくさんあるような気がする)、これはその対極にある作品だ。普遍化できない「個人的な事情」とそこから生まれる普遍化できない人間関係を描いた作品だ。 「個人的な事情の前には思想や世界観などなんぼのもんでもない」ということがとっても軽やかに描かれる。思想や世界観や人間関係を定義するためのとてもステレオタイプな構図がいくつも用意されているのだけれど、物語はそれらを端からきれいに無効にしていく。この世にふたつとない人間関係が生まれて、だんだん輪郭を持ち始めて、あわや何かになろうとするところとで物語は違うところへごろんと転がる。その繰り返し。
見てるほうは、「いいのか?それで?」 と思うんだけど、きっと、いいとか悪いとかではないのだろう。
登場人物がみんなほんとうに魅力的。 交わされる会話がまたとてもシンプルで素敵だ。 説明しようのないことばかり伝えようとするからなのか??
結局、わけわからないまま連れて行かれたところで映画は終了したのだけれど、見終わって、なんだかちょっとすっきり気持ちよかった。
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