窓のそと(Diary by 久野那美)
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そのお芝居の最後の公演のことを「楽(千秋楽)」といったりします。 今回2回しかないので、今日の夜の公演が「楽」になります。
道の階はこの公演をもって解散します。 つまり、解散公演です。
きのう、初日の公演と合評会がありました。
合評会というのが、私はとても苦手で。 ひどい状態で終了しました。来て下さった方、すみません。 食パンの話しかできませんでした。 芝居の話をしなくてはいけなかったのですね・・・・。
終戦直後の兵隊に「国策について」「今回の戦い方について」 聞いて答えられる余裕があるもんだろうか? 出産直後のお母さんに、「今回のお産を振り返って」「どんなお産をしたかったのですか?」「なぜ、子どもを産みたいと思ったのですか?」と聞いて、答えられるものなんだろうか?
と私は思ってるのですが、合評会ってやっぱり有効なんでしょうか?
お芝居って、特に作演出家は幕が開けた途端、できることが0になります。 何をどうしても、もう何もできない。祈るしかない、という状態で本番を迎えます。見た人が傷ついても怒っても悲しんでも、腹を立てても、何もできません。何もできないということに耐える義務があります。本番直後というのはそういう時間なのだと私は思うのですが。 つまらなかった金を返せというひとがいれば黙って頭を下げるしかないですし、面白かった来てよかったというひとがいれば、これも黙って頭を下げるしかないような気がします。どっちでもないひともたくさんいると思うので、これはそれこそ黙って頭を下げるほかどうしようもないですし。
「ぼくはちゃんと見てなかったので、わかってないと思いますが。」「(事務局の仕事が忙しくて)ばたばたしながらみてたのでちゃんと見れなかったのですが」「ぼくの意見は間違ってると思いますが。」と何度も前置きしつつ批評される事務局の司会者の方がいちばん不思議でした。間違ってると本人が断言してる意見に対して何を答えればいいのでしょう?よくないと思ったなら前置きなくおっしゃればいいのに。言えないなら言わなければいいのに。でも、これって謙遜とか社交辞令とかなんでしょうか??? 混乱したまま、噛み合わない会話は終了し・・・・。
あ。今気づいた。 無難なことばで表現するのは難しいほど悪かったのだけど、でもそのまま言うと傷つけるかもしれないから、言葉をやわらかくして半分自分のせいにして、批評してくださったのですね。
よくないとしても正面から批評してもらえるくらい対等な立場で議論できたら面白かったのかもしれませんね。「私にはよさがわからなくて・・」よりも、「あなたが面白いと思ってつくってるものが私にはなぜこんなにつまらないのか?」という議論の方が断然面白いと思うので。
お客様からのご意見は、芝居の創り方どう、とかではなく、内容に関する話で楽しかったです。あかんぼカポネとか菊池先輩の話とか、食パンの話とか、は、もうちょっとしたかったな。
それじゃ合評会にならないのか・・・。 だから私は何年たっても進歩しないのか・・・。
終わったらまとめて反省します。
でも、今は、このお芝居は、私が今創ることのできる最高のお芝居です。 世界で一番大好きなお芝居です。健康に(そうでなくても)育ってくれれば、それ以上何も望みません。
あと1回しかないので、ぜひ、見に来てください。
あ。ひとつだけ。合評会で質問されて答えたこと。
質問:何をしたくてこの芝居を創ったのですか?
私:演劇でできる最小限のことはなんだろうと思いました。台詞だけで何ができるか知りたかった。
思わず言ったけど、改めて、そうだったなあと思ったのでした。
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