michiyonのしあわせ探し
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2002年06月05日(水) |
本当の“しあわせ”って? |
よく運がいいとか悪いとかいいますよね。
生まれつき美しい人、頭のよい人、家柄のよい人、お金のある人…。
人はどんなふうに生まれてくるかで その先の運命も大きく違ってきてしまう…。 そんなふうに思っている人が多いのではないでしょうか。
たしかにそうとも言えるかもしれません。
私もいろいろ恵まれて生まれてきた方ではないので、小さい頃はちょっと神様を恨みました。 どうして私だけ…ってね。
何にしても恵まれていた方がいいに決まってます。 楽にきまってます。
美しければ 黙っていても みんながちやほやしてくれるし、
頭がよければ そんなに一生懸命勉強しなくても、いい成績がとれるし、
家柄がよければ 何の努力もしなくても いい会社に入れて いい縁談に恵まれるし、
お金があれば 苦労して働かなくたって ほしいものが手に入ります。
でも…
それが本当の“しあわせ”なのでしょうか?
私には何もないので、それがどのくらい“しあわせ”を感じられることなのかわかりませんが 歳を重ねた今だからこそ気づけたことがあります。
何の苦労もしないで 与えられた“しあわせ”と
たくさん苦労して、努力して、つらい目にもあって やっと手に入れた“しあわせ”とでは
その重さも ありがたみも 価値も 全然違うんだなってことです。
つらい冬を経験するからこそ 春がより素晴らしく感じられる。
同じ“しあわせ”でもきっと全く違って感じられるはず。
そして そこに 本当の 本物の “しあわせ”が見つけられるんじゃないかなって。
そして本物だからこそ 大切にできるんじゃないかなって。
たしかに、どんなに努力したって手に入らない“しあわせ”もあります。
でもそれはそれなりに、努力したってことに 意味があり
結果が変えられなかったとしても 決して無駄なことではないはずです。
半分つよがりかもしれません。
こんなことを言っておきながら、うまくいかなくて落ちこんだり 投げやりになったり
“手にはいらないもの”にすごくこだわったり…
まだまだ気分にムラがあります。
でも、限りある命を生きる意味が すこ〜しだけど わかってきたのかなって 思える自分がうれしかったりもするのです。(^^ゞ
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