脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


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 生命体と宇宙は同じ――?

つくづく思うのだが。
宇宙―――宇宙を構成する物質ひとつひとつ(暗黒物質であれ惑星であれ地球であれわたしたちであれ)
生命体―――生命体を構成する細胞ひとつひとつ(筋細胞であれ肝細胞であれメラニン色素であれ神経細胞であれ赤血球であれ)
これらはそれぞれ対応してるように思えてならないのだ。
電子顕微鏡でないと確認できないような小さな細胞ひとつひとつには、それらが形作ってるはずの大きなものの存在なんて知る由もない。
その細胞はその細胞を生きていて、その周りにあるものが全てなのだ。
たとえば――なんでもいいが――とある筋細胞は自分が「ヒト」という生命体の中にあるのだという事を、認知したうえで生きているのだろうか?
知らないところでは知っていることになるのかもしれない。無意識下の知だ。
だが、意識的に認知しているとは考え難い。
範囲を超えたような途方もなく大きなものの存在は、その中にいる小さなものにははっきり言って知ることができない。
それは、果てしなく広大な宇宙を知ろうとする私達そのものの姿だ。
宇宙からしたら塵ほどにもならない、しかし紛れも無く宇宙を構成してる一員である我々が宇宙を捉えようとするのは、ちっぽけな筋細胞がその身体全てが何であるかを知ろうとする位途方も無い事なのである。
筋細胞はそれが何によって歩いているか知らないかもしれない。
筋細胞はそれが何を考えているか知らないかもしれない。
筋細胞は老廃物がどうして排出され、どこからどこへ出されるのかも知らないかもしれない。
筋細胞はそれがどうやってエネルギーを取り込んでいるのか知らないかもしれない。
知る由もない。
ただただ、途方もない。
私達が、自分たちの今いる宇宙を理解しようとするのは、多分にそういうことだ。
何故クエーサーが存在しているのか?この宇宙はただ途方もないだけなのか?
ブラックホールは光をも閉じ込めてしまうとあるが、そのエネルギーは何処へいくのか?エネルギーを蒸発させて自身の肥大化が防がれているといっているが、どうなのだろう?銀河系はほかにも沢山あるはずだ。
私達は宇宙がどこから来たかを知っているか?
それがどこへ向かっているかを知っているか?
宇宙の中での私達の真の姿は見えているのか?
そもそも宇宙の真の存在を掴めているか?
私達は誰一人として、未だこの銀河系からすらも実際出ていないのだ。
仮説を立てることしか出来ず、
判った気になる事しか出来ない私達に、
真に宇宙というのが判る日は来るのだろうか?
それは果てしなく途方が無い。

だが。
先程も言ったように、生命体と宇宙は似ている、という考えがある。
生命は宇宙である。それくらい奥が深いと思う。
私達ひとりひとりの身体には、それぞれ宇宙の神秘性や普遍性全てが内包されているようにも思うのだ。
私達の身体は宇宙である。
そしてまた逆に、宇宙は生命体なのだ。
なんと言ったらよいか表現に悩むのだが、
そうすると宇宙という広大さはひとつの原点に凝縮されているのではないかと思うのだ。
存在という言葉がある。
存して在る、という言葉だ。
生命も宇宙も共に存在しているものだ。
存在という点において、二者は共通しているのだ。
原点の重さというか、濃さというか、意味合いというか。そういうものにおいては、ふたつとも同じなのではないか?
途方もなく広大なようでいてその実、宇宙という存在は意味合いにおいて、ひとつの点というような、そんな原点的存在で捉えられるのではないだろうか。
生命体と宇宙が同じであると考えた時、
生命体が膨大な数の細胞が集まって完成されたひとつのまとまった個体である、という考えを宇宙にもあてはめられるのではと考えられるのだ。
宇宙はただ広大なだけではない。
惑星や銀河がただそこらへんに浮いてるだけの無限世界ではなく、ひとつの目的とまとまりをもった、紛れもない「何か」であるという真理が見えてくるのだ。
そういう考えが脳裏をよぎった時、広大な何かの面がレンズだか顕微鏡だかで瞬時にしてズームアップされ、何かの点にピントがばちっと合ったかのようなはっとしたものに襲われたのだが・・・。



2002年07月03日(水)
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