脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


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 翼の折れた天使たち「アクトレス」

このシリーズ、二話目の「ライブチャット」から偶然、何となく見ていた。
ウソ、堀北真希が気になってたから、ライブチャットっていうちょっと新鮮な題材とともにこのシリーズごと微妙に気になってた。ぶっちゃけ堀北真希スキだったから。堀北真希が可愛かったから。
でもTVつけて偶然やってたってのはほんと。

ドラマとか滅多に見ない私が、めずらしく三晩だけでも連続してみてしまった。
残念ながら、「セレブ」は見逃した形になってしまった。
これ連続化したらもしかしたら見るかもしれない、と思ったが、これは四夜だけの放送だからこのクオリティと感動があるのかもな、とも思ったのでこれでいいか。

この「ライブチャット」も良かった。四話目の「スロット」も良かった。
けど、一番泣いたのは三話目の「アクトレス」だった。
以下、「アクトレス」ネタバレなんで大丈夫な方はどうぞ。
あと、ウロ覚えです。特に台詞とか。






 家業の人形師なんて継ぐのはまっぴら、女優になるんだから!と両親に猛反発して頬を父にひっぱたかれて、息巻いて家を出て行く主人公に、黙々と雛人形を作り続けるおじいちゃんが背を向けたまま言った言葉は、「がんばれよ」。の一言だった。
 けれど上京して女優を目指そうにも、オーディションには落ち続ける、慣れないキャバクラで稼ぐ職場先ではその不慣れな態度のために職場の先輩からも辛く当たられる。オーディションでも、職場でも、「君みたいな子はいくらでもいるんだよね」「嫌ならやめてもらって構わないのよ」と云われる日々。希望を持って上京したけれど、女優になりたいという夢につけこまれて騙されたり挫折したり、辛い風にばかり晒される。
 そんな時おじいちゃんが彼女に突然会いに来る。しかしおじいちゃんは彼女のことを彼女の母親の名前で呼び、「○○さん、かえろう」と云う。おじいちゃんは認知症になっていた。その時から、彼女とおじいちゃんの生活が始まる。
 おじいちゃんのおかげで作中、彼女にいい風が吹く出来事もあったが、ある些細な出来事によってせっかく出来た心の安寧である彼氏に、自分がつけこまれて出てしまったAVのことが発覚してしまい、その彼氏の存在さえも失う事に。「私東京にきて、一生懸命がんばったよ…? でも 幸せになんてなれないよ 全部なくなっちゃった」と家に帰ってくるなり、いよいよ挫折と失望に打ちのめされた主人公は泣き崩れる。
 そんな彼女を目の当たりにしたおじいちゃんは、彼女が一人、泣きながら別室にこもるかたわら、せっせと何かを作り始めた。認知症になっても自分の生涯の業であった人形作りだけは続けていたおじいちゃんは、翌日彼女を「散歩に出かけよう」と外に連れ出す。
 自分もかつて落語家になりたくて上京したけれど、どうしてもうまくいかなくて、ある失敗で決心がついて実家に帰り家業を継いだのだと語るおじいちゃんが連れ出した先は、河原だった。そこでおじいちゃんは、ひとつの流し雛を彼女に差し出す。
間違いや過ち、流したいことを流し雛に託して、流してまたやり直すのだと。
 「人は、間違うよ?何度でも間違うよ。けど、間違っても引き返せばいい。
流し雛がそういうものを背負って、流してくれる。人は、やり直せるんだよ」
染み入るように語るこのあたりのおじいちゃんの台詞で、どうしようもなく涙が溢れてきた。
人は、やり直せるんだよ―――
そうして、流し雛が流されていく。
主人公の挫折や失敗、間違った事、そういったものが、流し雛とともに流されていく――
陽の光を受けてきらきら輝く水面の上を、ゆるやかに美しく流されていく流し雛とともに、私の間違いや戸惑いや後悔、わだかまりも、ともに流されていくような感覚になった。
私も、私の過ちを何かに赦されているような、赦してもらったように感じ、もう涙が止まらなかった。
こんなふうに、TVの話に自分が入っていけたことはなかった。
いや、TVの話が自分の中に入ってきた。
 その後、彼女の両親のもとへ帰ったおじいちゃんは、しばらくしてから息を引き取る。仏壇に線香をあげに帰った彼女に、母は「おじいちゃんね、”会いたい人がいる”って云って出て行ったの。あなたのことだったのよ、きっと…」と言った。
 そして、やっぱりこのままでは諦めきれない彼女は、改めて両親にまず謝罪をして、けれどやっぱり女優になる道を諦めきれない、もう一度東京で頑張りたいと正面から両親に告げる。以前彼女が家を出るときに猛反対していた父は「お前の人生だ…」と初めて理解を示す。
 今度は喧嘩の勢いに任せてでなく、ちゃんと両親と和解しあった上でまた家を後にする彼女は、以前おじいちゃんが人形を作りながら背を見せ、あの励ましの言葉を一言投げかけた部屋――今も、おじいちゃんが使っていた道具や人形がある――無いのはただ、おじいちゃんだけの部屋――を横切るときに、再びおじいちゃんの「がんばれよ」という言葉を、耳にしたのだった。

この最後の、おじいちゃんの「がんばれよ」、ただ一言なのだけどもうどうしようもなく涙。涙。
最初から最後まで理解者だったおじいちゃん、見守っていたおじいちゃん、流し雛を手に、静かに大事な事を語るおじいちゃんに、何というか、赦された。存在や人生を赦された、肯定してもらえたような気がして、涙が止まらなかった。
やり直せるんだ、やり直してもいいんだ、私でもだいじょうぶなんだ、戸惑ってても、間違ってても、やり直す事だってできるんだ。
流されていく流し雛に、美しく涙も洗い流されていくような気持ちになった。

アクトレス、よかった。


2006年03月03日(金)
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