脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


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 言葉を訳すということ

前々から思っていたこと。で、おもしろいなと思っていたこと。
たぶんみんなも、もしかしたら感じたことがあるであろう、こと。


英会話学校にいたころ、集中的に英語を勉強して、わかったことがあった。
学校では、いろいろな機会において、自分の国のことを紹介することがあった。
日本のことって、日本語って、普段なにげなくしゃべっている言葉って。
私みたいにスマートに英語を使えない人が訳そうとすると、たくさん説明しなきゃいけないことになる。
一つの事象、単語を説明するためには、一つの言葉を置き換えるだけでは済まないのだ。
もしかしたらその概念や事象は、他国にはなじみのないものかもしれないから。

日本語は、目的の言葉とか主語とかが結構あいまいでも文が通じて、「あれ」とか「これ」とか「それ」が多い。しかも、魔改造されたカタカナ言葉とかも横行している。

で、それらを他の国の人に伝えようとすると、日本語を英語に置き換えて伝えることの不可能さを実感する。

私たちが伝えるのは、概念なのだ。

だから、そのものの本質を捉えていないと、伝えることができない。

そのとき初めて、自分が伝えようとしているものの概念、本質に向き合って、考える。

何を伝えるために話そうとしているのか。私が伝えようとしているものは、そもそも『何』なのか。

訳すというのは、本質に向き合う思考のトレーニングであるということに気づいた。

事象、概念、ものごとを客観的に見て、はじめて「どう伝えたら伝わるか」が見えてくる。

そのトレーニングが楽しくて仕方なかった。


食堂で、年上おねーさんな日本人の人と、他の国の人と、ゴハンしながらお話してたとき。(チュウニの私には、大学生のおねーさんは立派なおねーさんに見えた)
他の国の人に、「どんな料理が好き?」って日本人のおねーさんが聞かれて、おねーさんは日本語で「エスニック料理好きなんだけど! エスニック!」って言っていた。
それが通じると思っていたおねーさん、けれどエスニック料理なんて言葉は、たぶん通じない。
だってもともとethnicって、「民族」とかの意味じゃなかったっけ?
それって、じゃあどこの民族の? どの国の人々のどんな料理のことを指すの?
その一方で、同じ日本人として、なんとなくニュアンスはわかる。
なんか東南アジアとか、スパイシー的な香辛料的な、インドとかそんな、あいまいなかんじの雰囲気の。たぶんそういうことを言いたいんだろうなと思った。
だったら、i love spicy foods とか、thai foods とか、そんなんのほうが本質的に通じるんじゃなかろうか。
その場にいた他のみんなは「エスニック?どういうこと?」みたいなかんじで「?」を浮かべて、おねーさんは「えっ?通じない?!」みたいな感じで、はじめてそれが通じなさそうなニュアンスだと気づいたみたいだった。

そう、そして、何かを伝えるときに、たとえばネイティブ同士でしゃべるなら、少ない言葉数でも伝わることは多いかもしれない。
けれど、英語勉強中のピヨピヨさんたちな私たちでは、たくさん言葉がいるのですよね。


ネイティブをしゃべる感覚でしゃべろうとすると、たぶんしゃべれない。
そして、言語が違うということは、歴史が、文化が、性質が、持っているものが、世界が、違うということ。
ハナから言葉を「置き換える」という概念自体が、ナンセンスなのだ。
厳密に考えたら、「訳」なんて、本当はできないのだ。
限りなく近いなにかで置き換えることはできても。

だから、英語を日本語にするのとか、日本語を英語にするのとかって、あまり好きじゃなかった。なんだかとってもナンセンス。
学校で習う、ナントカ格とかいってわざわざさらに自分の国の言葉(しかもやたら難しい言葉)でなんとかしようとしてることなんて、ナンセンスの極致だった。
英語はどこまでいっても英語だし、日本語はどこまでいっても日本語だもの。

本当は、英語は英語でしか説明できないし、日本語は日本語でしか説明できない。

だから、頭のなかで二つの言語を行き来させようとすると、つかれちゃうんだろうな。

だって、どうしたって違うんだもの。

だから多分、訳さないほうがラクなんだよね。


でもそれだけ、確固たる世界が違うということ。
それだけの存在感が存在しているということ。

そのたしかな世界の違いが、とても面白い。
そのぐらいでなくちゃ、つまらないのだ。





2011年09月16日(金)
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