本当、久しぶりの神津だった。上の子が一歳の頃以来だから、 もう7年前になるんだな。その時は、行きは子連れで一晩船中 ってのが嫌で、飛行機に。9人乗りのプロペラ機は楽しかった が、人によっては怖いらしい。16人乗りもあるらしいが、そ れは名簿に体重を書き、重さで座席が振り分けられるらしい。 帰りは、直通便が出ていたのですが、夫婦で船酔い・・・。
で、今回ですが、行きは各島便(大島・利島・新島・式根・神津) だった。湾内は、さすがに揺れなかったが、しばらく羽田沖で 停泊し、時間調整。自分は一緒になった漁師の叔父と親父と 親戚と飲んでました。深夜12時頃だろうか、再出発したみたい でしたが、よく覚えてない。気が付いたら、利島の港に着いて いた。昔は、汽船が着けることが可能な港もなく、ハシケ船で 上陸していたみたいでした。本当におわんをひっくり返したよ うな形で、浜もなく、平坦な場所がないような島です。出航し てからは、酒酔いだか船酔いだかで気分が悪かったので寝た。
神津へ着いたのは11時ころだろうか。港の景色も多少変わって いたように思う。そのまま仏壇がある叔母の家(旅館)へ。と りあえず手伝いで、車で荷物運びをしていたが、ちょいと抜け 出して、エンマ洞へ。子供の頃はすごい深かったように感じた ものだったが、えらい浅い洞窟だったんだ。
その後、両親と親類とでじい様がなくなった多幸湾へ行き、お 袋とビールや花束を海へ。ある意味一番神津らしい場所だ。
一緒に行った叔母(叔祖母?)の明日葉畑に寄った。明日葉の 畑は初めて見た。お袋も嬉々として摘んでいた。茎のバター炒 めが好きだという話をしたら、茎が赤いのはまずく、茎も青い のがおいしいと教わった。そこかしこに、雑草のごとく生えて いるのは確かに茎が赤かった。伊豆周辺のは、似て非なるもの が多いとも言っていたが、どうなんだろう。
その後、島で初めて中華屋に入った。自分の地元、川崎市内の お店で修行していたらしいが、思い切り神津弁が飛び交い、ほ ぼ聞いていただけでしたが、楽しい昼食だった。叔母はいろん な人から、土産をゲットしていた。
そして、お墓へ。白砂がひかれていて、とてもきれいで、どの 墓も花がたくさん。旅館へ戻り、しばらくして49日の法要が 始まったが、お経が長い長い。自分は出たり入ったりしていた が、小さな島で良くこれだけ集まるもんだと思うくらいの人が きてくれていた。にぎやかな宴会が大好きなじいちゃんだった が、法要のあとの宴会もやはりにぎやかだった。さすがに、歌 を歌う人はなかったみたいだが。普段の宴会だと、島の歌やら なにやら必ず聞けるんだが。率先して披露する人の49日だか らしょうがないし、さすがに法要で歌はないのか。 自分は、初対面のいとこの旦那と従兄弟と飲んでいたが、途中 でギブ。しかし、その後、船で一緒だった叔父に「神津の酒に 多幸の水だ!飲め!」と、焼酎を水割りで・・・・。翌朝5時半に お寺集合だって言うのに、12時過ぎまで。
翌朝、まだ暗いうちにお寺に集まり、そこでも長〜いお経。や はり地元の人たちも来てくれていた。あとは帰るだけだが、 昨年から通っているジェット船は波が荒いとすぐに欠航すると のことで心配したが、何とか到着することに。しかし、着発と いって、着いてすぐに出航すると。少ない自由時間を使って、 多幸湾と、三浦湾の展望台に行き、写真撮ってきた。 予定だと、11時に船が着き、11時10分に出航、大島で 時間調整(2時間!)し、定刻で竹芝となっていたが、時間調 整なしになり、昼の2時過ぎに帰ってきた。いや〜、ジェット 船、いいねー。大島寄っても、3時間半ほどで着いちゃう。
久しぶりに、夏に行きたいと思える二日間(たったの・・・)で した。
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