Spilt Pieces
2004年12月24日(金) 
痛みや悲しみを、悪意や敵意に置き換えて泣くのは簡単だと思う。
誰だってやっていること。
自分が不幸だと、嘆けばいい。
境遇など人それぞれ違うのに、悲しみに心を占められてしまうと、自分のことしか見えなくなる。
そういう人を見ては、いつだって興ざめしてしまっていた。
そんな自分が、今は自分の感情の中に埋没してしまっている。
自覚はある。


マイナスへと向かうだけのエネルギーさえない状態のときは、気持ちの切り替えだなんて難しいだろうけれど、もしそのエネルギーが湧いてくるようになったなら、それを、この環境を招いた人たち(自分も含めて)を責める方向ではなく、現状を変えようというプラスの方向へと変換していきたい、と、思う。
自分の痛みに触れる機会があるということは、誰かの痛みに近づける機会を得たのと同じことだよね。


誰かの敵意や悪意に触れて傷を重ねるということは、誰かの優しさや喜びに触れることで自分が楽しくなれる可能性があるっていうことかもしれない。
だって、それは、自分が自分だけで生きているわけではなくて、誰かと関わって誰かの感情を受け取って生きているという何よりの証拠だから。


痛みや悲しみを、優しさや思いやりに変えられるような人間に、いつの日か、なりたい。
そうすれば少なくとも、辛い連鎖が一つだけ減るでしょう。
なんて大変なことだろう。
でも、なんて恵まれているのだろう。
大変なことを解決しようと思う場面に行き会えたというのは、成長する機会を得たということかな。


無理やりに、だけど、前向きに、生きたいの。
私、ただ、たくさん笑っていたいだけ。
どんなときも。
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