愛猫、リラが旅立って、数日。 ここ数日、ねむってなくて、 ふらふらでした。
最後のお別れをして。。 かわいい、耳やしっぽ、遠ざかってゆく 姿に、ばいばい、と言いました。 火葬を終えて、お骨を拾って。
赤城山の霊園のお墓に、納骨されるのを見守りました。
お骨を私が持っているといって、家族に反対され、 お寺の人にもよした方がいいと言われ、 やっぱり猫の仲間達と一緒に、群馬の大地に眠るのが 幸せかな、と思い直して、埋葬していただきました。
もうすこし一緒に居たいっていう気持ちがあったけど、、 今思ったら、リラの気持ちを考えたら、やっぱり大地で自然が 一番いいと思う。
3日くらい、泣きはらして、一歩も歩けない時もあったけれど・・
たくさんのお友達からの励ましのメッセージをもらい (10人くらい) 少しづつ、たちなおってきています。 本当に、ありがとう。
リラは、私の一部のような存在でした。 なぜなら、16歳の時から一緒でした。
高校生の私も知っていて、受験勉強の日々に ひざに乗ってきて。 大学生の頃の私も知っていて、 働いて大変な私も知っていて、 恋人ができたときも知っていて、 家族も、兄弟も知っていて、 同じ家で寝起きして。
やっぱりリラちゃんが一番好き。でした。
夜は一緒に庭で遊びました。
私の詩に出てくる「猫」は、ほとんどがリラのことです。
歴代の猫達、ほかの猫たちもいるのですが、 リラは特別でした。
わかりあえる、親友でした
うちで、父も怒り、母もいがみ、祖母も、弟も、家族みんなが つらいとき、 私はやり場のない心の痛みをかかえ、 リラが居たから、 毛皮に顔をうずめて思いっきり泣いてもよかったのでした
リラのいない、うちが、考えられなくて
それから、一緒だった、私の青春時代。 離れていても、猫と一緒だった、青春時代を思うと、 私の時代の何かに、ひとつの大きな区切りがやってきたように 思うのです。
リラにはこれから、体としてはもう二度と会えない。。
でも、きっと、リラは、心で近くに一緒にいるような気がする じつは今、リラのことをとても前よりも近くに感じて いつも一緒な気がします。
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