今日は、祖母の四十九日の、法事でした。
あっというまだった。
お骨になった、祖母が、おじいちゃんと一緒のお墓に入った。
祖母なのであるが・・
私は親しい友達を送るような気持ちになっていた。
夜中まで、ずっと話していたのはついこの間のこと。
少し前に、吉井の病院にお見舞いに行ったときに、 車椅子を押して外に出たら、 それは大きな丸い丸い月が、地平線すれすれに出ていた。
それを見ながら二人でしばららくたたずんでいた。
私が帰るのをおばあちゃんはずっと見送ってくれた。
* * *
生まれてからずっと家にいた人がいないこと。
きびしいこともあったけれど、 同じ家で同じ時をきざんできたこと。
北海道から群馬に引っ越してきたこと。
九十年の祖母の人生をどう受け止められるだろう。 祖母はどこに行ったのだろう。
祖母の、腕はこの間まで脈を打っていたことを 私はどうやって伝えられるのだろう。
さみしい気持ちをどうやって受け止めたらいいのだろう。 感じる必要がないのだろうか。
そんなはずはない・・。
感じないよりさみしいと感じるほうがおばあちゃんは喜ぶと思う。
だけど、家族の中でそれを出せない今、どうやってそれを受け止めて 伝えたらいいのだろう。 家族は、感じないふりをしているだけだろうか。
今は、私の胸の中の気持ちだけが私の真実。
猫と一緒に、この文章を寝床で書いている私は、ただ真ごころは どこかに通じると信じるしかない。
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