当時私は入学時に気張って購入したスポーツタイプのチャリに乗っていたので前カゴなど付いていない。仕方が無いので、付近にあったであろう有り合わせの風除けをフタにして被せてそのまま帰宅した。で、ママチャリに乗り換えてまた現地に行った。
どの子犬も何かしら障害があるらしく、その辺があんな場所に放置された原因なのだろうが最近はそんな不幸を見なくもなったし聞かなくなった。そのうち1匹はすでに息絶えていたのでその場に穴を掘って埋めた。残りの4匹ほどを持参したダンボールに入れてロンが使っている敷布に包んで帰ったように思う。
ただ、持って帰ったからといってうちで世話をすることは出来ないことは分かっていた。私は人間は大嫌いで人間が捨てられていても気にはしなかっただろうが(そんなことはまず無いが)、当時の私はこの子犬たちをほおって置けなかったのだろう。
案の定、母は難色。ロンも居場所を取られて迷惑そうにしている。
次の日は珍しく早起きして様子を見に行った。さらに1匹が動かなくなったので庭にあるまだ背丈の低くて華奢な柿の木の根元に埋めた。思えば人間も含めて子供の世話などしたことが無いので正直どうすればよいのか分からなかった。捨てられた理由が理由なので新たに飼い主を見つけるのはまず厳しい。しかも弱っている。
で、役所に電話した。一抹の希望でしかなったが、やはり役所では話にならない。 「そういった件は保健所にお願いします」と一言。まあそうだろう。
私の感覚では「お上に何とかしてほしい」というのが願いだったのだが、口下手だった私が電話すると相手が勝手に解釈してどんどん話が進むのだ。結局保健所へ連れて行くことになった。
そこがどういった場所であるか分かっていたつもりだ。そこで言われたことは「見つけても拾わないでください」ということだった。それが私には大人の代表者が言う声のようだった。 書類に記入する名前すら無かった子犬たちのその後を思って感傷的になるのは人間だけである。それはさも自分の行動が間違っていないと正当化するように働くのだ。当時の私には一連の私の行動が淘汰という点で本当に正しいことだったのか分からなかった。ただ社会のしくみがそうなっているというだけ、臭いものにはフタ、危うきには近寄らない。
それが「大人になる」ということなら、私はずっと子供のままでいい。
これが当時の私の口グセだったかもしれない。
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