きりんの脱臼
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ここは、なかはられいこ(川柳作家)と村上きわみ(歌人)の
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しわくちゃの空とぼくとを記憶する なかはられいこ
ぼくらは、ペニシリン注射の順番を待っている子どものように無力だった。
ためしにノートにそう書いてみる。うん、わるくない。明日、タチバナに見 せよう。タチバナならきっとわかってくれる。この感じ、あいつならきっと わかるはずだ。
「ちらかった部屋にも秩序というものがある」なんて言葉をまだ知らなかっ た頃、いきなり部屋に入ってきたママが顔を歪めて滝のように喋り始めるの を、ぼくは滝つぼの真ん中でずぶ濡れになった修行僧のようにじっと聞いて いた。ママの気がすむまで。だって他にどうすることができた? 今はちがう。ぼくも少しは利口になった。ママのため息を、世界が終わる合 図のように感じて布団をかぶって震えていたあの頃とはちがう。そうさ、全 然ちがう。ぼくは少しだけわかってきたんだ。きっとママは、ええと、つま りママは、混乱している自分のことを、実は結構気に入ってるんじゃないの かな。そうでなきゃあんなに乱暴にぼくを愛したりするはずないだろう?
ママが叫びながら泣いて、泣きながらぼくを殴って、殴りながら抱きしめて 「ごめんねごめんね」と言うたびに、ぼくはなるべく遠い未来のことを考え てその場をやりすごす。あるいは隣のクラスにやってきた転校生のヒイラギ のことを考えるんだ。ママが「お前がいないと生きてゆけない」とぼくの髪 を撫でている間中、全身からいやな汗が出る。そんな時もぼくはヒイラギの ことを考えている。ヒイラギはきっと汗なんかかかないだろうな。あいつは いつもすました顔で図書室の隅で本を読んでいる。一度だけ背表紙を盗み見 たら『冷血』と書いてあった。カポーティか。なんてませた小学生だ。
そうじゃなくてぼくとママの話だ。はっきり言ってママのことはかわいそう に思うけど、だけど“それ”はぼくの抱えるべき問題じゃないと思うんだ。 (ああ、冷血ってそういう意味なのか? ぼくは冷血かな、ヒイラギ。) 殴られるのにも抱きしめられるのにも慣れた。だけど、だからといってぼく はママの問題を“相続”するつもりはないよ。そのことをどう言えばわかっ てくれるのかな。頼むよ、ママ。ぼくはテディ・ベアじゃない。
明日タチバナに会ったら、今日書いたノートを点検してもらおう。あいつは いつもクールだから、きっとぼくの考えのゆるいところを指摘してくれるだ ろう。「お前はお前のママから何一つ“相続”する必要はない」って、実は タチバナがぼくに言った言葉なんだ。ぼくは自分がそんなふうに考えること を赦されているなんてちっとも知らなかった。タチバナは最高だ。あいつと 話していると、ぼくは、跳び箱を20段くらい平気で飛べそうな気がしてくる。 そしてヒイラギ。明日こそあいつに話しかけてみようと思う。あの前髪の奥 に隠している草食動物みたいな目を、まっすぐ見つめよう。そうだな、最初 のひとことはこんな感じだ。 「ヒイラギ、お前、セリーヌ好きか? 俺はきらいだ」
ゆるしてたすけてゆるしてダリア 満開のぽんぽんダリア ゆるしてほしい 村上きわみ
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