1年以上前に仕事で世話になった人からメールが届いた。
彼は、当時着任したばかりで慣れない職場に戸惑っていた僕に まめに声を掛けてくれた人で、 食べ物の中で唯一苦手だった納豆を 毎日僕の目の前で美味しそうに食べるという手法で 克服させた人物である。
彼とはコンパにへも行ったことがある。 正確に言うと、彼が彼女と別れたというので めったに自分からは動かない僕が進んで知り合いの女の子との コンパをセッティングしたのだ。 まあ、結局は適当にカラオケで盛り上がって それっきりになってしまったのだが。
だが、僕の次の職場が地理的に大きく離れてしまい、 また仕事の内容も全く関係ない部署に異動してしまったため、 それから音信は途絶えてしまっていた。 しかし、そのメールの内容からすると 4月からの仕事でまた何度か会うことになりそうだ。
今度は、雇う・雇われるの関係になるのだが。
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4月からの仕事は3年ぶりに本社に戻る。 だがそれ故、転職の話も少し悩んでいる。 その仕事では少し責任が重い立場になることが決定しているので、 暫くは身動きが取れそうにないのがその理由。 そして残念だが、毎日定時で帰れる生活にもピリオドを打つことにもなるようだ。
でもそれは自分の価値が上がっていることの現れだと前向きに捉えている。 確かに年齢的にも仕事的にも、転職するタイミングであるには違いないのだけれど。
ちょっと前までは、 生活ができるわずかばかりの収入があれば あとはぬるま湯のようでも構わないかもしれないな、と考えていた。 昇進していく同僚に多少の僻みを感じつつも、 自分に言い訳をしている節があった。
ここで、孔子の言った「三十にして立つ」を思い出して ネットで検索してみたら面白いものを見つけた。 糸井重里が「30歳の誕生日をどう過ごしたかが、その人の一生を表す」と 何かの雑誌で書いていたそうだ。
もちろん、僕は苦笑したわけだが。 今日は少し夜更かし。っていつもか。 ---
いかりや長介さんが亡くなったとテレビで速報が流れた。 見ていた番組でタイミング良く「いい湯だな」が流れた。 儚い。合掌。 うん、心配してくれてありがとうね。
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