大学の友人にちょっとした贈り物を先日したのだが、 そのお礼の電話があった。
大学を出てから、彼は随分恰幅が良くなってしまったのだが、 数年前、あれよという間に結婚して子供を授かった。 多分に漏れず彼も親バカのようで、もう3歳になるのだという。 贈った者は商品券だったので、子供の服でも買ってくださいよ、と 言って電話を切る。
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人は、生を授かる時点で10個程度の遺伝子が欠損するらしい。 欠損する場所が悪いと、五体満足、とはいかなくなる。 それを考えれば、いま生きられるということが 無限の選択の結果であるとも言える。
そこまではいい。 問題は、それが自分に降りかかったときどうかということ。
イラクで日本人が拉致されたとき、恐らく殆どの家庭では 同じような会話がされたのだと思う。 「世間一般論ではそうかもしれない。でも自分の家族だったら?」 家族でなくても、知り合いだったとしたら 僕はそのときとはまた別の考え方をしていたかもしれない。
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今日はちょっと駄目だな。
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ちょっといい言葉が見つからないのだけれど、 自分は持っているから幸せとか持っていないから幸せじゃないとか、 人と比べて始めてしまうと切りが無い。 自分が持っているものが100%で、それが人に与えられる、 与えることによって感謝を等価交換できることがわかってくれば、 そして、自分が存在していること自体が全て与えられたもので、 或いは誰かに与えられるものだとすれば、 全ての物には理由がある説明がつけられる。
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と、少し解ったフリをしてしまう。
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こんな僕が君に何を与えられるのか。 そればかり気にしている。
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