昨日、日記を書いた後、 (まああれは会社でこっそり書いていたのだが) 書いたとたんに頭がグラっときてしまって、 仕事にならなかった。
そのときいいタイミングで友人が「今度飯でも」と誘ってきたので、 早引けして新宿で落ち合って飯を食う。
人と会うと、それだけで楽になるから不思議だ。
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彼は少し変わっていて、 いずれは喜怒哀楽を感じない人になりたいのだという。 仏教的に言えば出家にあたるのか、悟りの境地とも言うべきか。 僕は僕で人とのコミュニケーションこそ幸せだと思っているので、 まるで方向性が違う二人なのだが、 お互いの考え方を理解しあうことができるので、 話していて凄く楽である。 こういう友人は大事にせねば、と思う。
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人生の幸せの総量は決まっている、という話は 多分他の人もよくすると思う。 不幸にある人もいつかは幸せになるという慰めなのかもしれないが、 それは案外真実ではないかなと、と僕らは話を続ける。 極度に幸福であるときは、逆に不幸を呼びやすいのかもしれない。 生こそが幸せであれば、死こそ不幸であり、 その絶対値は一致し、加えると0になるという。
だからその振幅を小さくしたいのだ、と彼は言った。 その振幅が大きいから面白いんじゃない、と僕は言った。
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今すぐ幸せになりたい、といったアイツは、 僕のこの考えを聞いてどう思うだろう。
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僕は元気だ。 今日は少しズルをしたが、何とかやってる。
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