仕事を休んで病院へ行く。
とは言っても、 自分の病気ではなく知り合いの見舞いでだ。 少し遠いのと、人数が多いことから レンタカーを借りて運転する。 久しぶりの運転だと言うと、 「病院に担ぎ込まれるような運転はやめてくれ」 と悪態をつかれる。
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彼の病気は、 ちょっと足を踏み外すと命に関わるようなものだが、 病室の彼は至って元気なところを見ると、 それほど心配は要らなそうだ。 果物は傷むのが早いから腐らなくてかさばらないものを、 というリクエストに応じて、 非常にかさばる漫画や本を数冊、 重い思いをして持っていった。 退院の時に必ず引き取りに来い、 という約束をさせられて、病院を出る。
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帰りにファミレスで飯を食い、レンタカーを返す途中の道で、 不謹慎だが、自分の父方の祖母が亡くなった時のことを思い出した。 最後に見舞いに行ったとき、 意識が混濁して分からないだろう、と言われていたのに、 はっきりと孫の自分と話してくれたこと。 長男の嫁と折り合いが悪いのに、 入院してから、彼女が一緒に住んでいた家族は見舞いに来なかったのだけど それでも、家に帰りたいと言っていたこと。
長男の嫁は、祖母の葬儀の日に箪笥の中の着物を全て処分して、 親戚の縁を切った。
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彼は運良く、病気の進行が思ったより進んでいなかったらしい。 手術も成功しているし生還するだろう。 でも、ほんの少しのズレがあったとしたら、 結果を変えてしまうかもしれない。 代わってしまった結果はそちらが真実になるのだろうか。 そのとき、ああしていれば、と思うことは無いのだろうか。
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この前読んだ新聞の特集で、生体肝移植をするために 中国へ渡る話があった。 たしか、移植に数千万・移植後のフォロー医療に数千万掛かると 書いてあったと思う。 資産家の男性は移植を受けて生き残り、 その資産家に話を聞きに来たという末期の男性は、 掛かりすぎる費用から妻に資産を残すことにしたという。
僕には、後者の男性のほうが人間らしい気がした。
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自分が死ぬ時の事をよく考えるが、 いや、そういうのは良くないかもしれない。 今日生きているし、明日も多分生きている。 少し楽天的に行こう。
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