言葉の遺伝子というものを常に意識している。
映画を見た後に、ドーナッツショップでその感想を言い合うこと。 携帯のメールに感情のままに書きなぐった会社での悪口を 全く関係無い友人に送ること。
思っていること、感じていることをお互いに共有することで、 その知能の中に相手の一部を取り込むということ。 やり取りする遺伝子は親子や恋人同士だとさらに濃いものになる。 インターネットが発達して、 言葉の遺伝子の到達距離は飛躍的に大きくなり、 理解さえ出来れば、地球の裏側のミクロな人々の思考を 僕らは共有することができる。
それは、脳内のシナプスに似ているのだそうだ。
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重要事項を通知するメールに対してスパムメールがあるように、 脳内にも重要な情報を伝達する電気信号のほかに そうでない雑多なシグナルも出ているらしい。 多くの言葉のノイズの中に重要なヒントはある。
そのつもりで、 僕は人と会話し、 メールし合い、 コミュニケーションをとっている。
或いは、 その言葉は自分への言葉そのものでもある。 薄まった言葉の中に小さなシグナルを潜ませている。
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意図的に君の事を書かないのは、 今でも忘れていないからだ。 すまない。
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まあ、つまり、 頑張れ。俺。
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