やたら美味くて高い焼き肉を3人で食べた後、 イスラム圏のどこだかの国の料理屋で トルキッシューコーヒーだか何だかを飲みながら かなり長い時間話をした。
一人は、 いろいろ失敗をしたけど、それは辛くない、という。 今は多分十分幸せで、その時々の失敗はあったけれども それ等全てが幸せである今に繋がっているのだから 辛くないのだという。
もう一人は、 失敗に対してニュートラルでいたい、と言う。 事実として受け止め、感情の起伏を押さえて 冷静に対処するのだという。
僕は、失敗をしたら辛いし、後悔する。 取り返す努力も、昇華して乗り越えるのも時間がかかる。 その間、後ろ向きになることは人として自然なことだと 僕は認識している。
かといって、彼らが不自然だと感じている訳ではない。 一方は生まれながらにして真理を知り、 もう一方は努力して悟りを目指している。 僕は、まだ水たまりの中で泥だらけになって喘いでいるレベルだ。 それに彼らのことを理解できても、 彼らと同じものを目指すことはできない。
この手の話題にしては珍しく2対1の構図になっったことで 今日はお開きとなった。
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失敗した、とは言いたくないが、 あのときの選択に未だに後悔を続けている。 そして、まだそれを昇華するところまでたどり着けていない。 その一方で、あの選択はその時点では仕方なかったのかもしれない、 とも思う。 何にせよ、してはいけない嘘をついて廻った。 それが、後悔の元だ。 前向きに、前を向いて、と言う割りには、 多分、ずっと想って行くのだろう。
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精神的な成熟が遅い、遅かったのではないか、と今になって思う。 本来、もっと早い段階で形成されているであろう精神的な構造が この歳になってようやく築かれつつある、といったような感じだ。 物事に対して深く考えられるようになったのもここ数年。
僕は未熟だった。 未熟な故に何度か選択を誤ったと言い訳するのは簡単だが、 そんなにさっぱりした性格なわけでもない。
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隠すための嘘をつくようなことは辞めよう。 今思うことは、正しく伝えよう。 そう思って、地下鉄でこの文章を書く。
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