消息






2006年02月01日(水)


ちょっと風邪気味。あたまがぼんやりする。


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 犬派か猫派か、ということ。近頃、周囲がわたしのことを「猫」だと認識しているらしい。どこいらへんがそうなのかというのは詳しく突っ込んで聞いてはいないのでよくわからないのだが、一般的観点で考えれば、わがままで、気分屋で、個人主義、といったところだろうか。反論させてもらえば、わがままで気分屋な犬も存在するわけだが(まあ個人主義の犬は居ない様な気もするけれど)。さて置ききっとそんな風に思われているのではと推測。そしてあながちはずれてもいない。というか、そういうふうに生きたいのだ。先の事なんて考えずに、お腹が一杯になったらすきな処でひなたぼっこしてねむりたい。欲しい時に欲しいものを捜して、きらいなものをきらいと言って、逃げたきゃ逃げて、立ち向かいたかったら立ち向かって。憂える事無く毅然として今日を生きたい。たぶん、そういった希望(そして少しの実践)が外に発露しかけているのだろうと思う。特に「猫」とは思っていなかったけれど、一般的な概念に当てはめればそうカテゴライズされる部類の希望なのだろう。きっと。
 ああ、ひとつだけ直接「猫だね」と言われた事がある。飲み会の席で、「どう死にたいか」という話題が出て。年老いて死期を感じて、身の回りのものをすべて処分し、自分という存在が存在しなかったかの様にしてから縁側でひなたぼっこし乍ら死にたい、とか結構わけのわからないだろうことを言ったら、そう。それが猫かどうかは置いておいて、だってねえ、急に事故とかで死んだとしよう、そうしたら身の回りのもの全部遺すことになるわけで。日記とかサイトとか全部。こう、なんだ、耐えられない。遺すにしても、体系づけて、必要なものだけ遺したいし。ごった混ぜのが遺されてしまうのは、恥ずかしいというか。自己が居ないのに自己主張が続けられてしまうのがなんとも言えないというか。わたしの遺したモノがある所為で、遺された人がわたしの事を思い出してしまうのも、ちょっといやだ。それだったら自分ですべて始末しておきたいと思うのだ。わたしの存在なんて忘れ去ってくれればしあわせだと思うのだ。忘れ去って、そしてしあわせで居てくれればいいと、思うのだ。



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