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2002年08月29日(木) 「産む」ということ・・・命の尊厳

6/26の日記で「イソジンを習慣づけなければならない」と書きましたが、ある個人のHPで「妊娠中のイソジンは良くない。」と書いてあるのを見つけてしまいました。
個人HPなので表現は自由だと思いますが、医師でも薬剤師でもない「その人」がそこまで安易に断定してしまっていいのだろうかと疑問を持ちました。
そこで、そのまま鵜呑みにはせず、自分で色々調べてみようと思って検索をかけてみました。

すると、皮膚の消毒に使用する際は、気を付けなければならないことが分かりました。
なぜならイソジンはヨードを含むため、体内に吸収されると甲状腺の働きを阻害する可能性があるそうです。甲状腺ホルモンは胎児の脳の発達に必要なホルモンなので、妊娠中はイソジンの使用は極力控え、使う場合にはなるべく少量を使い、すぐに拭き取るようにします。・・・ということでした。
ただ、のどのスプレーを数日使ったくらいではそのようなことはまず無いと考えられ、うがい薬の方が吐き出してしまうために吸収は少ないと考えられます。
飲まないように注意し、少量を短期間で使用する、というのが正しいようです。
ただし、これは素人がネットで拾ってきた情報ですので、気になる方はきちんとかかりつけの医師や薬剤師さんに相談した方が良いでしょう。
今は情報社会で色々な情報が入り乱れていますが、それに振り回されないよう、自分で正しい情報を取捨選択出来ないといけませんね。

ちなみに「その人」は無痛分娩を選択された方で、無痛分娩を「楽しい出産だった。」と表現していました。
価値観の相違もあるでしょう。
わたしはその方の妊娠中から出産にかけての日記を読んで、正直ぞっとしてしまいました。
人間が機械のように扱われ、健診はさながら車検のようで、そんな風に産みたくないと思いました。
病院や自分の都合で出産日を決め(計画分娩と言います。)、まだ産まれたいと思っていない子供を薬で無理矢理・・・痛みや産まれてくる感覚も無しに産む。
上手く言えませんが、命ってそういうものじゃないでしょう?
これでは子供を自分の「所有物」として扱う親が増えるはずです。

ご存じですか。
計画分娩の際は、浣腸をされ、剃毛を受け、分娩台に横になったままモニターをつけられ(身動きがとれなくなる)、その状態で陣痛促進剤を点滴され、股は開きっぱなしで光を当てられ、破水しなければ人口破膜をされ、子宮口が開かなければラミナリア(海藻で作られたふえるワカメちゃんのようなもので、膣に挿入されると徐々に大きくなる)で無理矢理子宮口を開かされ、促進剤のために波のない陣痛に耐え(無痛分娩だと、この時の痛みはない)、その痛みに耐えている間も医師や助産師などが付きっきりでいることもなく一人で放置、会陰というデリケートな部分を切開され、分娩時間が長くなれば馬乗りされてお腹を押される・・・そうして赤ちゃんは産まれてくるのです。(注:病院によって、また、その人の状態によって、行わない処置もあります。)
無痛分娩も色々種類があり、硬膜外麻酔だと意識ははっきりしたまま出産することも可能だそうですが、血液に麻酔を入れる場合だと赤ちゃんも眠ったまま産まれてきてしまうため、産声を聞くことが出来なかったりするそうです。
それと、よく言われているのは「痛みに耐えながら産むというのが美徳とされているのは日本だけ」「痛みに耐えて出産するということに対して、医学的根拠はない」ということです。
医学的根拠?
お産って、医学なのでしょうか。
お産は、人の、生命の営みではなかったのか・・・?
わたしは意味無く存在するものはないと思っています・・・痛みすらも。

分娩時間が短くなると困るから・・・長くならないよう、努力すればいい。
痛いのは嫌だから・・・自分の都合でしょう?
結局は楽をしたいだけですか。
産まれてくる赤ちゃんに対して、命に対して、そんなに無責任でいいのですか。

これもわたしの価値観ですし、身体的に無痛分娩を選択せざるを得ない方もいらっしゃると思うので、すべてを否定することはしませんし、この考えを押しつけることもしません。
事実、無痛派の方たちと同様、自然分娩派の方の「痛みを感じて産まなければ、子供に愛情が湧かない」「子供を虐待するようになる」という意見もナンセンスだと思っています。
痛みを感じても感じなくても、お腹の中で子供を育てている時間に、変わりはありません。
促進剤についてもそうで、一概に「悪」とは言い切れない部分もあります。
結局のところ、イソジンと同じで「自分にとって何が一番良いのか、自分で判断する。」ということでしょう。
「あの人が良いと言っていたから」「米国やフランスでは○%が無痛だし」とかいったことは、判断基準になり得ません。

わたしは「医療としてのお産」が嫌で、分娩台のない、自然なお産の出来る病院を選択しました。
もちろん浣腸、剃毛、会陰切開や性別の告知もありません。
体重管理や運動に関して厳しく指導されていますが、これも産道に余計な脂肪が付いて赤ちゃんが産まれにくくならないよう、微弱陣痛にならないよう、安産で産むために必要なことなので努力するのは辛くありません。

そうへいは「価値観とかではなくて、倫理観の問題なんじゃない?」という意見でした。
クローンやDNAの操作・・・なんて時代ですから、確かに「命」の尊厳や神秘は失われつつあるのかもしれませんね。


哉 |HomePage

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