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| 2002年10月01日(火) |
真実はどこにある【31週0日】 |
〔前置き〕 今日の日記は、幸せな妊婦さんにはきつい内容だと思いますので、そういったことが苦手な方にはお勧めしません。 −−−−−−−−−−−−−−
先日、出生前検査などについて日記を書きました。 世の中きれい事だけではないと知っているが・・・と書いたものの、本当は目を背けているだけではないかと自責し、実際に堕胎を選択した方等のHPを見に行きました。 わたしは中絶否定派ですが、実際には中絶せざるを得ない方もいらっしゃるはずで、きちんと現状を把握しなければならないと思い・・・。
なんだか、言葉が出てきませんでした。 上手く気持ちがまとまりません。
ただ一つ分かったのは、誰でも「自分の子は可愛い。」ということ。 ネットの中には色々な「母親」が存在していました。
堕胎する、といっても、ある程度週数がいっていれば、陣痛促進剤を使って人工的に陣痛を起こして「分娩」という形で行います。 その際の、激痛。 そしてその激痛に耐えるのが、「我が子を殺すため」だと気付いたときの悲嘆。 死んでしまった我が子を見たときの衝撃。 「やっとこの苦悩から開放された。」という安堵と、その後やってくる「産まれる前にお腹の中で死んでしまうと分かっていても、生きている限りはお腹の中で育ててあげれば良かった。」という後悔。
法律で定められた週数を過ぎた後の中絶は「死産」という形で秘密裏に行われているという実態。
「産む」という形で処置することが出来ず、お腹の中でバラバラに切断されてから摘出される胎児。バラバラにされるのが分かっているのか、お腹の中でメスから逃げまどい、切断され、トレイに乗せられた「胎児であった」断片。
産まれる前にお腹の中で死んでしまうかもしれない、例え産まれても数分で死んでしまう程の障害を持っていると判明してなお、「お腹の中でなら生きていられるというのであれば、この子の人生を全うさせてあげたい。」と出産を決意し、早産で出産したあと数十分しか生きられなかった我が子を看取った母親。妊娠していた数ヶ月と、その数十分に愛情の全てを込めて。
障害があると分かっている子供を産んだとしても、普通に接してあげられる自信が無く、そんな風に育てられるのならその子が可哀相だから、今中絶してしまった方がよい、と出生前検査を選択した母親。
出生前検査で陰性と分かり出産したとして、その子が成長した際に「出生前検査を受けた。」という事実を伝えられるのか?また、伝えたとして、その子に「その時陽性だと分かったら、わたしを産んでくれなかったの?」と聞かれたときに答えられるのか?今、お腹にいる「命」に対して、後ろめたいことは出来ない、と出生前検査を拒否した母親。
・・・わたしが思ったのは、人生最大の選択は、医者も、親も、パートナーでさえも決断し得ない選択を、本当に苦悩しながら自分自身で選び取らなければならず、そして選んだ後の苦しみも悲しみもその人自身のものでしかない、ということでした。 だから、そうした人たちに「こうした方が良かったのに。」なんて安易な意見は誰にも言えない・・・。
どんな決断も「わが子を想う気持ち。」によるものでした。
・・・人間の赤ちゃんは人間であるために発達した頭部(脳)を持ち、それ故にその頭部が母親の骨盤を通過でき、なおかつ自分の生命を維持できる、ギリギリの週数で産まれてきます。だから、他の動物は産まれてすぐ歩行することが出来るのに、人間の赤ちゃんは1年ほど経過しないと歩くことが出来ません。生物としては、1年も、未熟な状態で産まれてこなければならないのです。 そして、自分の意志を他人に伝達できるようになるのには、更に時間がかかります。 誰も、産まれてこようとしている赤ちゃんの「意志」を確認する術を持っていません。 だからこそ、母親は決断を迫られるのです。 本当は、赤ちゃんはどうしたいのか。 この子にとっての最良の決断はどういうものなのか。
生きていたい? 産まれたい? 辛い人生なら殺して欲しい?
わたしが選択した「出生前検査を受けない」「障害を持って産まれてきても、変わらず愛する」という選択も、所詮、わたし自身のエゴでしかありません。
誰か教えてください。 真実は、どこにあるのでしょう。
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