"A" Jam Blues

2003年01月05日(日) 車に関する認知的不協和

アメリカにいたときに、車が大好きになった。
毎日、カリフォルニアの広い大地を、青い空のもとをさっそうと走る、
これはほんとうに気持ちがよかった。
日本でも車を乗り回したいが、あまりその機会がない。

車が大気汚染を引き起こすというのはわかっているけど、
だからといって車に乗らないという行動はとりたくないんだよな。
「○○が環境に悪いからあまり××しないほうがよい」
という消極的な考え方の延長線上には、
生きていることを否定するような極論がありうる。
そりゃあ、死んだら、食べ物は食べられないし、ゴミも出せないし、
車にも乗れないから、環境にはいいさ。
いまから原始人みたいな生活を始めるわけにもいかない。

そういえば、不景気のせいで、
夢の島からごみの山からのテレビの生中継や、
「大量消費社会」なんていうことばに接する機会が、
僕が子供だったころより少なくなったような気がするのは
私だけでしょうか?
そりゃあ、人間という生き物は身勝手なんですよ。
それが悪いとも思いません。きれいごとばかりで世の中は語れません。

結局、車に関する認知的不協和は、自分だけでは逓減できそうにない。
車のメーカが解決してくれるのを待つ。
人々にふつうに使って生活しても
環境に害を与えないようなものを作ること、
それこそがこれからの工学のテーマです。


 < 過去  INDEX  未来 >


あしだ [MAIL] [HOMEPAGE]