日々の思い

ひばり【MAIL

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1970年代 その3
2002年05月30日(木)

ある日、テレックスを習いに行くよう指示された。
テレックスというのは、多分もうなくなったのではないかと思うが、
銀行のATMくらいの大きさで、全体がキーボードでできている。
電話であり、文字で双方向の会話ができる。

佐賀県には、まだ数台しかなかった。
1週間くらいの講習が終わって戻ると、事務所にテレックス室が
設置されていた。
周りをカーテンで覆われて、今思えばこれが目を悪くしたような気がする。
毎日、製品の出来高状況などを報告するのにつかっていた。

このころは、道路が今のようにコンクリートで整備されていたところは、
殆どなかったような気がする。
整備するといえば、アスファルトのため、暑い時は、溶けてきて、
靴の底に、真っ黒な液体がくっついてきた。
車といえば、ミゼットという三輪のトラックが、走っていた。
日産系のダットサンが主流の時代、
サニーを持ってる人もいて、車を持っている男性は、やはり人気だった。

一番人気の乗用車といえば、あの、ケンとメリーのスカイラインである。
コマーシャルが、だいいち素敵で、都会のにおいを最高に運んできてくれた。

そんな時、45人くらいだった会社も、150人くらいにまで、
増えていった。
編み立ては、男性の分野。対して縫製は女性の分野だった。
広いホールに、ミシンがずら〜と並んで、ガタガタと、音をさせて、
縫っているシーンは、壮観だった。トイレに行くにも、無言で、
手を上げて出て行ったものだ。

当時食堂が別棟にあって、コカコーラが、おいてあった。
自動販売機の入れ替えに来ると、担当者として立ち会っていたが、
その時間がまた楽しかった。
北九州から来ていた彼は、お客さんとは、本当は、仲良くはできないんだと
言いながら、サービスで、一本くれたり、わずかな時間会話するのを
楽しみにしていた。
ブラックユーモアの本なんかを持ってきて貸してくれたり。
でも、長くは続かなかった。同じ人が、同じコースと言うのは、
短い期間でしかなかったのだ。

コースが、変わって、別の人がやってくると、そんな時間は持たなくなった。




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