ある日、テレックスを習いに行くよう指示された。 テレックスというのは、多分もうなくなったのではないかと思うが、 銀行のATMくらいの大きさで、全体がキーボードでできている。 電話であり、文字で双方向の会話ができる。 佐賀県には、まだ数台しかなかった。 1週間くらいの講習が終わって戻ると、事務所にテレックス室が 設置されていた。 周りをカーテンで覆われて、今思えばこれが目を悪くしたような気がする。 毎日、製品の出来高状況などを報告するのにつかっていた。 このころは、道路が今のようにコンクリートで整備されていたところは、 殆どなかったような気がする。 整備するといえば、アスファルトのため、暑い時は、溶けてきて、 靴の底に、真っ黒な液体がくっついてきた。 車といえば、ミゼットという三輪のトラックが、走っていた。 日産系のダットサンが主流の時代、 サニーを持ってる人もいて、車を持っている男性は、やはり人気だった。 一番人気の乗用車といえば、あの、ケンとメリーのスカイラインである。 コマーシャルが、だいいち素敵で、都会のにおいを最高に運んできてくれた。 そんな時、45人くらいだった会社も、150人くらいにまで、 増えていった。 編み立ては、男性の分野。対して縫製は女性の分野だった。 広いホールに、ミシンがずら〜と並んで、ガタガタと、音をさせて、 縫っているシーンは、壮観だった。トイレに行くにも、無言で、 手を上げて出て行ったものだ。 当時食堂が別棟にあって、コカコーラが、おいてあった。 自動販売機の入れ替えに来ると、担当者として立ち会っていたが、 その時間がまた楽しかった。 北九州から来ていた彼は、お客さんとは、本当は、仲良くはできないんだと 言いながら、サービスで、一本くれたり、わずかな時間会話するのを 楽しみにしていた。 ブラックユーモアの本なんかを持ってきて貸してくれたり。 でも、長くは続かなかった。同じ人が、同じコースと言うのは、 短い期間でしかなかったのだ。 コースが、変わって、別の人がやってくると、そんな時間は持たなくなった。
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