パラダイムチェンジ

2006年02月10日(金) ネット上のプライバシーと編集能力

今回も前回に引き続き、内田樹先生のブログ「プライバシーって何で
しょう?」
からネタを借用させていただく。
これを読んで、確かに長年ネット上で文章を書いていると、「書ける事
と書けない事」ってできてくると思うし、私の場合も「書けないこと」
って、自分では責任がとれないこと、書いたら周囲に差しさわりが
起きそうだな、と思われることが多い。

その上で私なりに「ネット上のプライバシー」の問題について考えてみた
いと思う。
「ネット上のプライバシー」の問題として真っ先に思い浮かぶのは、
「ネットストーカー」だろう。
本当かどうかは知らないけれど、ネット上のブログやコメントなどに
書かれた、わずかな情報を頼りにして、この人はここに住んでいるに
違いない、などと場所を探り当てられてしまうトラブルがあるらしい。

具体的にどこに住んでいる、なんて書かなくても近くのお店の話とか、
○○のコンビニに行った、などの情報でさえ、突き止められる人が
いるそうである、なんて事を聞くと、つくづく私がナイスバディの
ぷりぷりぷりてぃな女の子でなくてよかった、なんて思うのだが。

そんな可能性のあるなしに関わらず、私はこの日記/ブログを、Harry
という匿名で書いている。
ただし、このアドレスを私は知り合いに教えているので、ウチダ先生の
分類で言えば「半匿名」に近いのかもしれない。
元々リアルな知り合いではなくても、オフ会などで知り合った友達も
いるし。

ただ、私はこの日記/ブログを知り合いが読んでいるかどうかに関係
なく、あまり私のプライバシーに関する情報は載せていないし、また
知り合いだけに通用する「内輪ネタ」というものもあまり書かない。
というか、書けない。

私の知り合いの誰がこのブログを読んでいるのかは知らないが、だから
私のリアルな知り合いにとってこのブログは、ちっとも面白い内容では
ないかもしれないし、また私を良く知る人にしてみたら、格好つけやが
って、なんて思われているかもしれない。

私が実名ではなく、HNを使っているのは、私がただの一般人で、実名
だろうが、偽名だろうが、名前なんていうのは第三者にとってはただの
記号だろうと思うからだし、また私が私のプライバシーを書かないの
は、それが人にとって面白くもなんともないだろうと思うからである。
ま、じゃあ今の内容がはたして「面白おかしい」かどうかは別として。

でも、もしも私が「身内にしかわからないネタ」をネット上で知り合い
に伝えようと思うのであれば、おそらくはMixiなどのソーシャルネット
ワークサービスで、完全クローズドで行なうだろうと思う。

私がMixiには参加していてもそれを行なわず、こうしてネット上で
くだらない事をつらつらと書いているのは、それが第三者に読まれる
可能性というものを残しておきたいと思うからなのかもしれない。
ウチダ先生が書くところの「沈黙交易」ではないけれども、完全クローズ
ドでは、やっぱりつまらない訳で。


そうは言っても、もしもこの日記を読んでいる全く見ず知らずの人が
いれば、私が男か女か、また年齢は大体いくつくらいで、既婚か独身
か、東京のどの辺に住んでいるか、位は(知りたくなくても)知っている
かもしれない。

逆にいえば、私にしてみればそのあたりの話は別に知られてもいい話
な訳ですね。
で、じゃあそれ位しか個人情報を明かしていないからって、匿名の強み
で何でも書けるか、というとそうでもなく。

それは自分が誰か特定されてしまう恐怖のため、というよりは、将来
自分の知り合いが、アーカイブに入っている内容を含めて読んでしまう
可能性というものを考えた時に、書く事が制限されるかなあ、と思う
のである。

で、そういう「王様の耳はロバの耳」みたいな話は、それこそクローズド
な環境で書き込むか、もしくは日記や手帳か、それこそチラシの裏にで
も書くべきもののような気がするのである。

もう数年前になるけれど、長崎で女子小学生による殺人事件が起きて
しまったのだって、ネット上に書き込まれた、身近な人に対する悪感情
が原因だったと思うし。

また、いくら匿名だからといって、私が例えば年収何千万だとか、そう
いう嘘を書き続けるのは、しんどいことな訳で。
短期間人をだますことはできたとしても、長期間にわたって人をだまし
続けるのって、結構大変なことだと思うし。


で、それらのネット上のプライバシーの問題を踏まえた上で、ネット上
で文章を書き続けるための秘訣というか、コツみたいなものがあると
すれば、どこまで書いていいのか、というその書き手の「編集能力」が
問われるんじゃないのかな、と思うのだ。

多分、長年書き続けられる人って言うのは、その人なりの「編集能力」
があると思うし、また書き続けることで編集能力が磨かれるような気が
するのである。

それは私の編集能力が高い、といいたいのではなく、人気のあるサイ
トほど、そのプライバシーとアウトプットのバランス能力が高い気が
するのだ。

それが元々備わっているのか、それとも鍛え上げられたのかはわからな
いけれど、この電脳世界で(どんなものであれ)人に読まれるものを書き
続けるということは、情報の取捨選択を含めて、そういう編集能力が
なければ続かないのかも、しれない。

なんて事を思ったきっかけは、おそらくはこの対談を読んだからなのかもしれないが。(長いので興味のある方はどうぞ)


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