ひとりごと
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「斉藤茂吉って何した人だっけ?」
そう聞かれて、たしか俳句だったと思うけど……。
と、その程度の認識でした。
斉藤茂吉は、明治15年、山形県南村山群金瓶村に生まれる。
なんと、開成中学から第一高等学校に入学という華麗なる学歴の持ち主で、歌人と
して多くの短歌を読みつつ、本業の精神科医として数々功績を残している。
おお、精神科医だったのか。斉藤茂吉。
ヨーロッパに留学、さらに深く精神医学を学び、
のちには『柿本人磨』の研究に打ち込む。
頭が良くて、勉強熱心。 すごいぞ、斉藤茂吉。
晩年は故郷で過ごす。
愛用のバケツを下げて歩く茂吉先生。
小○を催した際は、このバケツが活躍するのだ。
(サビ止めもしっかりと塗ってあったという……)
さらに、サッと洗って、野菜カゴにも変身したらしい。
それはどーだろう、斉藤茂吉。
最後に、学校で習った茂吉先生の一句 のど赤き玄鳥 ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり
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