ひとりごと
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2002年09月30日(月) 斉藤茂吉

「斉藤茂吉って何した人だっけ?」

そう聞かれて、たしか俳句だったと思うけど……。

と、その程度の認識でした。


斉藤茂吉は、明治15年、山形県南村山群金瓶村に生まれる。

なんと、開成中学から第一高等学校に入学という華麗なる学歴の持ち主で、歌人と

して多くの短歌を読みつつ、本業の精神科医として数々功績を残している。

おお、精神科医だったのか。斉藤茂吉。


ヨーロッパに留学、さらに深く精神医学を学び、

のちには『柿本人磨』の研究に打ち込む。

頭が良くて、勉強熱心。 すごいぞ、斉藤茂吉。


晩年は故郷で過ごす。

愛用のバケツを下げて歩く茂吉先生。

小○を催した際は、このバケツが活躍するのだ。

(サビ止めもしっかりと塗ってあったという……)

さらに、サッと洗って、野菜カゴにも変身したらしい。

それはどーだろう、斉藤茂吉。



最後に、学校で習った茂吉先生の一句
 
 のど赤き玄鳥 ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり


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