CYMA’S MURMUR

2002年07月30日(火)   旅の思い出

今回友人とヨーロッパへ行くことになって、
その友人と約10年前にドイツを周った時の日記を探した。

見つからない。

実家まで探しに行った。
見つからない。

なんだか大ショックだ。

今の一人暮らしの家は、
それほど探すところも多くないから、もう全部探した(と思う)。

実家は広いけど、私の持ち物は作りつけクローゼット1ヶ所に
わずかに残るのみだから、そこにもないとなると・・・

何故人は旅先で日記を書くのか?
というテーマの英文を、大昔受験用問題集で見た気がする。

何故だろう?
非日常を書きとめようとするのだろうか?
恋の日記を綴るのとそういう意味では似ているのかもしれない。

とにかく、私は普段も思いつくと日記を書くけれど、
海外旅行に行けば絶対日記を書く。

家族で旅行してもそのことに変わりはなく、
香港やスペインで私は毎日妹に呆れられながら、
早々に眠りに落ちた妹の横で日記を書いた。

家捜しして今見つかったのは、
5年前のトルコ旅行の日記(これは家にあった)と
3年前のオーストラリア旅行の日記(これは実家にあった)だけ。

ヨーロッパふらふら1ヶ月旅行記は?
卒業旅行の記録は?
スペインの思い出は?
どこにいっちゃったわけ?

もういちど徹底的に探すつもりだけど、
もし出てこなかったら・・・と思うとたまらなく悲しくなる。

出てこないかも・・・ということを思い煩うのは一旦やめにして、
トルコ日記を読み返してみた。

自分で言うのもなんだけれど、結構面白い。
すっかり忘れていた情景が、いっきに細部まで蘇る。

記憶の中ではもっとインパクトがあったはずの
ブルーモスクに対する描写が、すっごく冷めていた。
おまけに「アラブ系の建物は好きじゃない」とまで書いてある。

確かに私はゴシック好きだけど、
でもアラベスク文様も大好きなのに。
いつから嗜好の変化があったのだろう?

観光内容と、周囲で起こった出来事が、事細かに記されている。
カッパドキアツアーの16歳ベルジャン・ガイドとか。
つれていかれた絨毯屋のショーの模様とか。

想像以上に内面的記述が少ないので、
人に見せてみようかなと思うくらい。

今実家では病み上がりの父がもう一度家族旅行に行きたいと切に願い、
来年のトルコ旅行を企画しているところなのだ。

父に読ませてみようかな・・・
時々気になる表現はあるけど。

このごろ人生に悩んでたから(ほんとに!)、
旅行で何か開眼するんじゃないかって甘い考えがあったけど、
体調も悪かったし忙しかったしそれどころじゃなかった。

とかそんな感じ。

5年前の私よ、一体何を悩んでいたのだ?

でもまあこの程度の表現なら他人に見せてもいいかなあ。
もう時効だし。
具体的に書いてないから何を悩んでたか本人もわからないくらいだし。

行方知れずの卒業旅行記なんて、同行した友人の性格分析で溢れてる。
(私と彼女は旅行が原因で友人関係が崩れた。
 旅は仲間選びが何よりも肝要と知った出来事だった)

何のために旅先で日記を書くのか?

答えはひとつだと思う。

読み返して笑うため。

だってトルコ日記すっごく面白かったもん。
他のも読みたい!
ああ、みつかりますように!




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