CYMA’S MURMUR

2004年02月07日(土)   理想像と多様性(ツマラン話です)



コーチングの何がひっかかるか、考えてみた。

事前に言い訳しておくと、
私の中のコーチング像は、
まず間違いなく実際のコーチングの定義とかけ離れている。
だからこれは、コーチングに対して物申すわけではなく、
私がコーチングに関して持っているイメージと
そのイメージに対する感じ方の分析、だ。

※

私がひっかかっているのは、
コーチに共通してみられる性格と、
コーチングの目標とされがちなタイプの人間が
ステレオタイプすぎるのではないか、ということだ。
(コーチングは画一的なゴールを目指すものではないということは
 わかっているけどあくまで私の印象)

私が、メルマガやサイトから読み取ったコーチの人格の傾向は
 ・明るく
 ・社交的で
 ・人間の善意を信じている
 ・他人の存在を認める(悪口を言ったりしない)
 ・前向きで向上心に富む
って感じだろうか。

で、このイメージが何を私に連想させるかというと、

模範的アメリカ人像

である。
(さあ、コーチの話は終了。脱線していきます)

※

ビバヒルを見たことのある人ならわかるかもしれないけれど、
主人公の1人ブランドンのイメージかな。

 ・仕事(または勉強)がよく出来、
 ・性格もよく、
 ・友情にあつく、
 ・正義感にあふれ、
 ・行動力と勇気を持ち、
 ・スピーチではユーモアたっぷりに聴衆を魅了する、
そんなタイプ。

こんな息子/娘を持てば、親は自慢で鼻高々に違いない。

私も彼ら・彼女らの魅力は認める。
尊敬に値する人格者だし、
でしゃばることもなく、
いざというときに頼りになり、
ほんと、イイ人。

だけど、それが「あるべき人間像」「理想像」だと言われると、
無性に反発したくなってしまうのだ。

たとえば、上記で挙げた条件の正反対な、
 ・性格が悪く、
 ・友達が少なく、
 ・正義感に乏しく自己中心的で、
 ・行動力がなく臆病で、
 ・スピーチなんてとんでもない、逃げ出そう
というタイプがいたっていいではないか。
(友達にはなりたくないけどね)

自分の属性と、
それに基づく周囲とのコミュニケーションの結果は、
自分に跳ね返ってくるのだから、
個々人が好きにすればいいと思う。

狡さも弱さも頑なさも、個性のひとつに変わりはない。
画一であるよりは、多様である方がいいに決まってる。

ただの社会的文化的コンセンサスとは言え、
典型的理想像を掲げるということに対する不満、
それこそが私が感じている違和感だ。

これは本当はやっかみなのだ。
資質、というよりは、傾向の問題。
自分とは程遠い属性を正解として提示されている気がして落ち着かない。
情けない話だけれど。

また話が飛ぶけれど、
世の中は、多様性を認めることでしか進化していけないと思う。
そして、多様性は、決してプラス要因だけを包含しているものではないのだ。
マイナスへの多様性を認めるのは、自由の第一歩であるはず。

うまく言えないけれど、
私の拒否反応はそういう考え方から引き起こされているらしい。


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と、↑ここまでを金曜日に書いたのだけれど・・・

イマイチ自分の考えていることがちゃんと表現できてない。

勝手に言い放ってるだけで論旨も通ってないし。

しばらく寝かせて推敲しようかとも思ったけど、

とりあえず混乱は混乱のままに投げ出すことにした。

いつも通りの放置。これはこれとして。

そんな感じで。





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