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三回忌 2002年12月08日(日) |
今日で、 我が家の愛犬リトル号が亡くなって、 3年目に突入した。 墓参りにはなんとも微妙な陰鬱な天気の中、 奴が納骨されている、 近所の寺の動物慰霊塔に花を手向ける。 線香に火を灯す手がかじかむくらいの寒さだ。 短毛の奴には、相当堪える寒さだろう。 気の毒で仕方ない。 人間というのは誠に勝手な生き物で、 2年も過ぎれば辛いことの大半は忘れるくせに、 一番辛かった奴の闘病生活は忘れられない。 いや、もっと正直に言えば、 その「手間」を考えてしまうと、 二の足を踏んでしまうのだ。 今我が家では、 次のペットを飼うかどうかで、 時折静かな議論が交わされる。 「3年も経てば、もういいよね…」 「でもまたあの手間を考えると…」 誰もが同じことを言う。 誰もが同じエゴを抱えている。 当然、自分も。 以前の日記にも書いたが、 奴は先天性のインシュリン依存症だった。 晩年は、気の毒な程、病院通いが続き、 食事療法まで採らされていた。 奴が家族に与えてくれた物は計り知れない。 感謝しても感謝しきれないくらいだ。 では、 奴が我が家で飼われた事は、 奴にとってはたして幸せだったのか。 日がな居眠りと散歩と食事を繰り返し、 子を残すこともなく、あの世に逝ったリトル。 犬としては当たり前の生活だったのかも知れない。 だが「家族」として考えると、 なんだかとても悪いことをしてしまった気がする。 我々に、また犬を飼う資格などあるのか。 我々に、また命を預かる資格などあるのか。 答えの出ないまま、 また3年目が静かにやってくる。 |